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[コメント] 七人の侍(1954/日)

ここでもミフネは、自分の名前についてはどうでもいい人のようだった。三十郎のプロト・タイプは菊千代だったりして。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 今年が没後百年の小泉八雲(日本で死んでる)は農村の美しさを褒め称えていた。黒船来航のマシュー・ペリーも、日本に来る前に寄港した中国や台湾と比べ、農民の(身なり、振る舞いの)立派さが一番異なる、と書いている。つまり「ブシドー」は高目に見積もっても”古き良き美しき”日本のごく一部に過ぎない。どうしてこれがいまだに常識にならないのか不思議だ。日本国民の8割は百姓の末裔。「そうあって当たり前のこと」はなかなか誰にも見えなかったりする。

 黒澤明本人は、7人の中で誰に身を重ね合わせていたのだろう。島田勘兵衛(志村喬)、と考えるのが妥当だろうか。自分の技量に自信を持ち、強い意志を備えていて、人間の機微にも通じている。その為、それに衝き動かされることもあるが、そこを突いて人を動かすことができる。幾度か敗北を経験し、自分の人生についてはある種達観している。なにより優秀な指揮官であり、全体を俯瞰し、それに基づいた計画を立案することができる。

 しかし、本人がどう思っていたかとは別に、私から見た黒澤明、これはまったく菊千代(三船敏郎)そのものだ。農民の具体的諸事情に精通しすぎだし、その割りに彼らに深い憎悪を抱いていて、それを隠そうともしない。それなのに結語で「勝ったのは百姓」てなこと言わせるのだから、これが腑に落ちない人が多いのもよく分かる。だがこれは、ちょうど菊千代がそうだった様に、憎悪は憎悪でも近親憎悪なのだ。と考えると、少しは理解できないだろうか。だから憎悪を無防備に表わしてしまった。

 そして、矢張りちょっぴり武士に憧れている。村人・万造(藤原釜足)が、年頃の娘たちを武士の目から隔離しよう、と提案したときの理由がこうだった。武器を携帯した荒くれ男に手篭めにされることへの危惧、ではなく、オナゴはすぐ侍に惚れてしまうから、と言うのである。

 この映画では、「強者は弱者を助けるべきである」という考え方が、当たり前のこととされている。初め、農民の申し出を断ろうとしていた勘兵衛は、居合わせた人足(多々良純)から次のように言われ、決断した。「(農民の苦悩が)分かってないのはお前さんがたよ!分かってたら助けてやりゃアいいじゃねえか!」私ゃこの台詞にはドキッとしたね。そうだ!助けてやれ!助けてやるべきだよ!と思った。

 ただ、「武士は(強者だから、弱者である)農民を助けてくれる」この発想自体は、極めて百姓センス!と思う次第でありまする。

85/100(04/10/02見...3度目、かな)

(評価:★4)

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