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[コメント] BECK(2010/日)

これも映画なのか?と問われれば、確かに映画であるには違いない。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 「この退屈な日常が永遠に続くのだと思っていた」。16歳の少年にそう思わせてしまうのだとしたら、日本という国もいよいよ末期だなと思うわけだが、正直言ってこのボンクラ少年がそんなことを思う感性を持ち合わせているように思えない。いずれにしても、たかだか16歳の少年が思い描く「延々と続く退屈な日常」なんて、いかに薄っぺらい物でしかなかったかを、大人になれば思い知らされるだろう。簡単に言えば人生は興奮に満ち、同時に退屈に満ちている。しかもこの少年(コユキ=佐藤健)、その退屈な毎日を打破しようという努力はまるでしない。いや正しくは、大した努力をしたわけでもないのに簡単に打破できてしまっている(この程度の刺激なら、そこらへんにゴロゴロしているはずである)。特に女の子に対してがそうで、真帆(忽那汐里)のことを少し可愛いナくらいに思ってはいるのだろうが、積極的に自分の彼女になってほしいとアプローチするとか、自分をPRするとかがまるでない。この点に関しては、ヨシト君(古川雄大)の方がはるかに努力している(やり方がいいかどうかは別として)。要するにこの主人公は、映画の中の台詞で言えば「人を好きになったことがない」のだ。別に、16歳の少年がそうだったからと言って、悪いわけではないだろうが。少年漫画誌という現場で、少年たちの欲望を救い上げる作業に日々向き合っている漫画作家と漫画編集者が作り上げた物語が基になっているのだから、それなりにリアルなところがあるのかなとは思いつつ、私にとっては切実さに欠けるお話でした。以上が物語に対する批判。

 映画は、映画に描ける/映画にしか描けない技法で、物語を紡いでいってほしい。音楽映画なのに楽曲がイマイチだとか、ボーカルを聞かせないで誤魔化すなんてのも当然アウトだけど、この映画、普・通・に・横須賀の街で撮影されている。いくら横須賀が米軍基地の町だからと言って、あんな弛緩した体型の外人アンチャンたちが、街中で、(しかも)犬コロをいじめてるなんてあるかよ?とか、なんだよあのアメリカ音楽界の名プロデューサーとやらが闇社会にも通じていて、しかも日本に拳銃まで持ち込んで無害な若者を殺そうするエピソードは?とか、どう考えても現実にあり得そうもないから駄目、なのではなく、そういうことがあり得そうな<現実>を映画の中に構築してほしい、と思うわけです。例えば『アメリ』なんて映画は、たいへんメルヘンチックな物語なわけですけど、パリの街並みからメルヘンチックにそぐわない色彩はすべて抜き取ってしまった(ように見えた)。そうやって独自の世界を作り上げていた。本作は、普通に横須賀の街中でフィルムを回してるだけで、映像になんの緊張感もない。それが映画における<現実>になってしまうのだから、その場合は物語を変更するしかない。変更していい。それが生身の人間(俳優)を使って映像化することの意義だと思う。拳を突き合わせるイメージなんかも、繰り返し多用されるわけだが、おそらく漫画のコマとしては、思い入れたっぷりな表現となっていたのだろう。(漫画は)線の太さを変えてメリハリをつけることもできるし、縮尺を誇張することも可能だし。だが映画で見ると、スクリーン全体に占める比率から言っても貧弱だし、目立たないし、第一アクションに乏しい。端的に言うと、本作は漫画が主で、映画が従な感じ。それでは駄目。漫画は読みこなすのに習熟が必要だが、映画は万人が見て楽しめるものであるはずだし、そうあってほしいから。

 映画として楽しめる部分も多々あったが、それらについては他の方々が書いてくださることでしょう。

65/100(10/09/29記)

(評価:★2)

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