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[コメント] 愛の亡霊(1978/日=仏)

簡単に前言が撤回されたり、開かない扉が開いたり、場当たり的な物語展開は、見てて苦痛でしかなかった。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 駄目。客(藤竜也)が訪ねてきたとき、茶筒が、近くの戸棚とかから取り出されるのではなく、そこ(囲炉裏のそば)に置いてある、という光景にまず半分ずり落ちる。じゃ、客が頻繁に訪れる家庭なのか?というと、ほかには誰も来ない(だいたい街道沿いとかではない農村の内部に、なんで団子屋−−吉行のために藤が買ってくる−−があるんだ?とか)。村人の目に止まるかもしれないのに往来の真ん中で男女が抱き合う。なんて大胆な恋愛感情の発露が許される村文化なのだろう?とか思ってると、後に家屋内で「(頻繁に通い、長時間過ごすことが)人に見つかったら変な噂を立てられる」みたいなつまらん常識的な台詞が飛び出す。情を通じた女(吉行和子)が、炎に包まれている。助け出そうとしたが手がつけられず(ここの描写で、この男がまだ女を強く愛していることがわかるのだが、芝居がまたクドイ)、その場を逃げ出す男。と、何を思ったか取って返す(理由がわからん)のだが、今度は、何をやっても開かなかった扉が簡単に蹴破られる(さっきまでのクドクドしい描写は何?)。

 私が、感情の繊細な遣り取りをさり気ない仕草や表情で描く作品の方をより好むのは確かである。だからこそ、なのだろうが、この手の作品はどこがいいのかまったくわからない。私の見るかぎり大島渚は落差の激しい映画作家で、この後続けて『愛のコリーダ』を鑑賞したのだが、雪が舞い振るシーン一つとっても、その叙情、美しさは段違いだった。本作は相当手抜きしてる、ように思える。出資者がフランス人ばかりで、どうせ日本社会の微細なニュアンスなどわかりゃせんだろう?と考えたのではないか?

 藤が適当なアクセントで「〜だッペ」みたいな方言もどきを発するたびにムカッときたし。

(評価:★1)

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