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[コメント] 男はつらいよ 柴又慕情(1972/日)

「男はつらいよ」度は高かった。マドンナの魅力は、抜きん出ているとまでは言えなかったように思う気がしないでもないないない。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 ないない16。そらともかく。

   ■  ■  ■

 寅は、歌子(吉永小百合)さんが話し始めたのは自分のことじゃないかぐらいに思って(この思い上がり! でも分かる)ウキウキと聞いている。それが、歌子には彼氏がいて(意外! でも分かる)、その彼氏の話だと分かる。しかも、よりにもよって、寅に会えたことで彼との結婚に踏み切る決心がついたのだとまで言われてしまう。

 この時の渥美清の一連の芝居。落胆する。気を取り直す。そして最後は「(決心がついて)良かったじゃないか」とまで言ってやる。歌子小百合は、自分のことに夢中で寅のこの変化にまるで気づかない。だが、劇場の椅子に座るこちらからはその双方が見える。寅は、歌子に気づかれないで良かったろうということまで見える。これが映画を観る醍醐味だ。男はつらいよ。まさにそういうシーンだと身につまされた。

 僕は、次作『寅次郎恋やつれ』の歌子の方がしっとりと色っぽかったと思う。良かったのは、役者なのか演出家なのかその双方なのか分からない。でも、歌子のキャラクターが、寅という人間そのものに、少しは思いを馳せるようであったからではないか。本作ではあまりそれが感じられない。

 高学歴の見合い相手から「(結婚後は)家で何もせずにのんびりしていればいい」みたいなことを言われて「馬鹿にされた」ように感じ反発を覚えた歌子。次作では、寅から「(ずっととら屋に居て)花を摘んで歌を歌って過ごしていればいい」と言われたことを微笑んでいた。

20/2/23記

 冒頭の場面。貸間ありの札なんかで寅がつむじを曲げやせぬかととらやの面々は気を揉む。この部屋は3作前の「純情篇」ですでにマドンナ・夕子(若尾文子)に貸しているのだが。現れた寅は実際にこれで気を害する。

 おそらくこのシーケンスは、本作から交代した二代目おいちゃん・松村達雄のため。一連のドタバタ騒動の中で、森川・前おいちゃんと個性は違うが、継承される部分は継承されながら、新しいおいちゃん像をそれとなく確立して見えた。

 チーズとバターを間違えたことをきっかけに、歌子(吉永)を含む女子3人と仲良くなる寅。だがこれ以上のエピソードはなく、場面を盛り上げるBGMで強引にまとめていた。やや荒っぽい演出。これだと「寅=面白い人」という事柄が記号的な意味しか持ち得ないが。ま、いいのか。

 博と桜のアパートに、歌子を迎えに行った帰り道。歌子によれば、常滑(?)で陶芸やってるマサクニさんと5年は付き合っている。はて、歌子が自分の方がフラれたように思ったという「君は家でバラの世話をしていればいい」と言った婚約者(?)との話は、そんな過去の(5年よりはるか昔の)エピソードだったのか? それはともかく、歌子から結婚を申込まれるぐらいに思っていた寅(馬鹿だねえ)は、まったく見当違いと分かると、がっくり肩を落とす。このときの渥美の表情の暗いこと(そらそうだけど)。凄すぎて怖いくらい。でも、そこから立ち直って「決心がついて良かったね」とまで言ってやれるんだから、ご立派。見上げたもんだ(屋根屋の褌)。

 こういう男としてのカッコよさが描かれる作品はいい。だから「男はつらいよ」だ。駄目男一辺倒の作品もときどきある。こっちは「寅はつらいよ」。

 あと、一人旅が多いせいか、頭の中で思っていた言葉をポロッと口にし、「あれ。俺、いま何か言った?」となるシーン。後のリリーさん(浅丘ルリ子)との3作目、「ハイビスカスの花」で実を結ぶ。本作辺りから始まったのかな。

20/6/6記

 あと追記。本作の満男役は中村はやと君ではない。本格派の子役。演技もしっかりしてるし、顔立ちが良い。

(評価:★4)

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