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[コメント] キリング・フィールド(1984/英=米)

ジャーナリズムが、いかに人間の下司な根性で成り立つ商売かがよく分かる。それでも少しは役に立つから、存在を許されるんだろう。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 内戦時代のカンボジアで、アメリカ人ジャーナリストの助手をしていたカンボジア人が、ギリギリまで彼に従いプノン・ペンにとどまっていた為に、避難するタイミングを失い、ついにはクメール・ルージュの手に落ちる。クメール・ルージュの過酷な環境(キリング・フィールド)を生き抜いた彼が、数年後にようやくアメリカ人と再会するまでを描いた物語だ。

 アメリカ人、シドニー・シャンバーグ(サム・ウォーターストン)は、一連のカンボジア報道により、1976年度の最優秀ジャーナリストに選ばれる。ちなみに前年75年は、首都プノン・ペンにポル・ポト派(クメール・ルージュ)が侵攻した年、つまり西側ジャーナリストが滞在できた最後の年である。

 授賞式でシドニーはこう語る。「賞の半分はディス・プランのものです。彼なくしては(この記事は)書けなかった・・・(略)彼もこの受賞をほこりに思うことでしょう」 式後、同じ時期をカンボジアで過ごしたカメラマンのロッコフ(ジョン・マルコビッチ)から、シドニーはこう批判される。「君が賞を取る為には、彼の存在が必要だったから、引きとめたんだろ」。シドニーは猛然と反駁する。俺はできる限りのことはした、国境周辺のNGO団体に顔写真つきの資料を何部送ったことか、云々。

 シドニーに罪の意識があることは、妻に告白するシーンでわかる。だから、また同じ状況に置かれたら、何度でも同じ選択をする、とまで言えるかどうかは分からない。だがもしジャーナリストに理念型というものがあったとしたら、そいつは必ず同じ選択をするだろう。なぜなら、それがジャーナリストの仕事だから。ジャーナリズムは、他人の覗き趣味を満足させる為という大義名分を掲げ、自分の覗き趣味を満たすことで成り立つ商売だ。シドニーは、自分の為に助手ディス・プラン(ハイン・S・ニョール)を引き止めた。そのためにプランは脱出のタイミングを逸し、クメール・ルージュの手に落ちて、行方知れずとなった。

 だが、それだけではなかったはずだ。プランもまた、自分の意思でとどまったのだ。もちろんキリング・フィールドを生き抜いた彼は、もう一度同じ状況下で同じ選択をする、なんてことはないだろう。しかし、彼自身の台詞にもあったように、彼は自分もジャーナリスト(記者)だと思うから、残ったのだ。

 アンカ(映画の中で、クメール・ルージュの指導部はこう呼ばれる)の下で重労働を課せられるプランは、いつもシドニーと家族に思いを馳せる。家族とは言うまでもなく自分の存在理由だ。ではシドニーとは何か? シドニーは、彼にとって語りかける相手だった。彼はシドニーに語りかける形で、いま自分が体験していることを客観化し、そこに埋没せずにいることが出来た。ジャーナリズムとは、自分の見聞を誰かに語り伝えることに他ならない。もちろん現実に助かったのは、もっといろいろな要素が絡み合ってのことだったろう。だがあの過酷な状況を生き延びた彼は、善人かどうかは知らないが、まぎれもなくジャーナリストだった。

 ペンが剣より本当に強いものなのかどうか知らない。だが、少なくとも闘うための武器にはなることを、この映画は教えてくれる。

80/100(03/11/09再見&5点up)

ん?ちなみに私はジャーナリストでもなんでもない。常にジャーナリズムが健全に機能することを願う一市民でございます。

(評価:★4)

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