[コメント] トーク・トゥ・ハー(2002/スペイン)
「孤独だ。」「ただちょっと孤独なだけです…」「また孤独になってしまったよ…」ハイハイ。
アルモドバルは「不完全燃焼な・爆発」、「安っぽい・爆発」、まるで田舎のショボい花火大会みたいなものを描いたときこそ、その才能を発揮する監督だと、僕は勝手に思っている。
大体、人間なんてもんは、不完全で、安っぽくて、ショボいもんだと相場が決まってる。でも、それでいいじゃんかよー、安っぽい花火でも、シケかけた花火でも、美しく燃え尽きる(ように見える)ときがあるじゃんかよー、という生ぬるくも熱いものをスクリーンにブツけるのがアルモドバルではないかと。それこそが、アルモドバルたった一人が成し得た「域」なのではないかと。
それが今回はなんだ?『オール・アバウト・マイ・マザー』の国際的大成功に気を良くしたのか、妙にソフィスティケィティドされちゃって、ハイソ(死語)でフィロソフィーしちゃって。妙に映画的にシンミリ語っちゃって。んな、アルモドバル見たくもねー。
個人的には、あの劇中劇『縮みゆく男』こそ本編にして欲しかった。あの、クダラナサとセツナサの同居こそが、僕がアルモドバルに期待するものなんだな。
と<監督・アルモドバル>に執着した観方もいかがなものかと思うが、監督名を外してこの作品を見れば、ズバリ、凡作。
人間が永遠に孤独な存在であるのは真実。その真実をたとえ何回、何十回、何百回繰り返されたところで、「ああ、そうですか…実は僕もなんですぅ」とオウム返しに応えるしかない。僕がアルモドバルという名前を超えて見てみたいのは、その真実を超えたところ、その地平。
それがかなわぬのなら、せめて、いつものように笑い飛ばしてほしい。その笑いの中に、本当の「涙」が流せるのだから。
[8.18.02/テアトル梅田]
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