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[コメント] 惑星ソラリス(1972/露)

memento-mori ―死に限りなく近づいた165分の、生きている「瞬間」。皮膚を切り裂き、内を外へと剥き返せば、ソラリスの冷たい海が、世界一面に血のごとく広がる。死の光が命の暗闇を照らす。その時、→
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**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







我々は涙を流し、赦しを乞うしか術はないのだろうか?―だが、誰に?何のために?―赦し、赦されること「だけ」が愛なのかもしれない。

何にせよ、無限に広がり無限に深いソラリスの海、その無限性に、いつ現れるとも知れぬ島を見つけるためには、自身の限りある命、存在、その有限性を投げ出さねばならぬ。それが祈り、すなわち永遠との接点、その記憶の「瞬間」を、僕は見た。

震えが止まらない。

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僕はこの映画をいわゆる「SF映画(というジャンル)」には捉えられない。

よく比較対象になるスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』は<ソト>を意識した(してしまった)<ウチ>なる<宇宙>の映画、その<ソト>と<ウチ>の膜を良くも悪くも意識している映画だと思う。しかし、このタルコフスキーの『惑星ソラリス』は、限りなく<ウチ>なる<宇宙>の映画であり、その膜の存在を極限にまで消滅させた映画、だと思う。だからこその「宇宙」が描かれているのではなかろうか。

もう10数年前になる初見時、この物語は、母親と関係を持ち、それに勘付いた妻を自殺に追いやってしまった男が、贖罪を求めて生と死の狭間で見る世界(他にも、水=カタルシス、新芽=輪廻、川=三途の川?[爆笑]なんて)なのでは、と解釈していたが、そういう即物的で短絡的な解釈しかできなかった自分を、今は呪う。

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ご存知の方も多いでしょうが、コメント冒頭の"memento-mori"とはラテン語の格言で「汝、死を思え」という訳になります。本作鑑賞中脳裏にずっと消えなかった言葉です。

[京都みなみ会館/1.10.02]

(評価:★5)

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