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[コメント] 冬の光(1963/スウェーデン)

芯まで冷えきった石のような心からしか「祈り」は生れない。だが、芯まで冷えきった石のような心では、その「応え」は聞こえない。「冬の光」は長く見つめていると雪目になる。
muffler&silencer[消音装置]

北欧の厳しい冬の中で、重く冷たい石で築かれた寂れた教会。そこで繰り広げられる、孤独な人から神へ、人から人への絶望的な祈り。

神と神父の関係は、神父と女教師とのそれと相似しているのではないか。信仰、すなわち、愛。

神学者であり哲学者マルティン・ブーバーの有名なことばに「祈りは時間の中になく、祈りの中に時間がある。犠牲は空間の中になく、犠牲の中に空間がある。この関係を逆にするひとは、現実を見捨てることになる。」というのがある。八分にわたる手紙にはじまる女教師の内的独白、神父へのその自己犠牲的な懇願は、どうだろうか。そして、神父の神への不信の中での祈りはどうだろうか。

ひとつ言えることは、祈っている時間、願っている時間は、その「応え」が聞こえる時間ではないのではないか、ということ。もし、人が永遠に祈りつづけねばならない「さだめ」ならば、祈り終えたとき、願いをやめたとき、たとえばあの漁師ヨハンの選択の後に、応えが耳に届くのかもしれない。あの神々しく冷たい冬の光も、柔らかな暖かい春の光へと、時間の中で移ろうかもしれない。

絶望の中の希望、その中で、遠い春を待ちのぞむ孤独な魂のまなざしを、ラストに見る。(<神の沈黙>三部作の『鏡の中にある如く』より、よほど希望がある気がする。)

ふと、もし、この神父が「惑星ソラリス」(アンドレイ・タルコフスキー監督作品)に行ったとすると、彼の前に現れるのは亡妻だろうかと思いをめぐらせた。意外に、この女教師なのではないだろうか。「神」ではないことは確かであろう。

(評価:★4)

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