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[コメント] ジョゼと虎と魚たち(2003/日)

暗い海の底から。
ちわわ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







よく組み立てられた作品である。 人物ひとりひとりの個性がいい。テンポもいい。 細かいところも面白い。特にジョゼのすむ家が物語の進行とともに変化していく さまはすばらしい。 例のドスンで終わる幕切れなんか、実にしゃれている。

ところが見終わった後、不思議と納得のいかない何かが残るのも事実。

納得のいかない何か、それは「この映画は何をテーマにして何を表現している のか?」という疑問に即答できぬことに尽きる。

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1まずこの映画は、身体障害者を巡る諸問題を扱った映画ではない。 もしもそうなら、もっと多くの障害者が出てこないといけない。第一 ジョゼはかなり特殊な障害者である。(病名さえ明らかにされていない)

2この映画は、いわゆる「真の愛」を描くものではない。恒夫のキャラは意図的に 軽薄ですこし無神経につくられており(「嫌な奴」ではないが、時には一番嫌な奴に なるタイプ)、妻夫木聡もそういうキャラを好演している。またジョゼも 閉鎖された環境で培われた一種の(青臭い)文学少女であり、恒夫への愛も 妄想的なものに思われるところがある。 閉鎖的な環境で生きている人間が、感じざるをえないような愛情と言えなくもないのである。 だから、ある意味でピュアな恋愛ではあるが、青臭さに批判的な人がでてもおかしくない。

3この映画は、ありふれた日常生活のうちに発見された充実した時を発見する タイプの映画でもない。中にはそういった映画的感動を求める作品もあるが、 この作品はあくまでもプロットがあってこそ楽しまれるものである。

4じゃあ、一体この映画は何なのだ? 単にプロットと映像を楽しむ 娯楽に徹した映画なのか? どうもそうとは言えないようだ。

5それに気になることは、この映画で出てくるサガンの小説には何の意味もないのだろうか? ということだ。

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少しこのサガンの引用箇所を見てみよう。

 「いつか貴女はあの男を愛さなくなるだろう」とベルナールは静かに言った、「そして、いつか僕もまた貴女を愛さなくなるだろう。   我々はまたもや孤独になる、それでも同じことなのだ。其処に、また流れ去った一年の月日があるだけなのだ……」  「ええ、解ってるわ」とジョゼが言った。 朝吹登水子訳

ここでも恋愛が描かれている。原作を読む必要はどこにもない。誰かわからないが一人の男性をジョゼという女性が 愛しており、ベルナールはジョゼを愛している。そしてその愛はすぐに終わってしまう儚い愛だ。 愛は儚くとも、その愛する1年だけの今を楽しめばいい、ということだろうか? 

引用されている小説は、サガンの『一年の後』なのだけど、もうひとつ続編『すばらしい雲』も作品のなかで登場する。 この小説に深読みする必要はない。ただその美しい表題だけで十分だ。そしてその表題は。 作品中ジョゼがいう「あの雲、もって帰りたいわ」という一言とも深く関係する。

そして重要だと思うのが、「お魚の館」でのジョゼの言葉。

 「暗い暗い海の底から、一番エッチなことをするためにやってきたんや。いつかあんたがおらんように  なっても、うちはもう元にはもどれず、貝殻のように転がるだけや。それもまたよしや。」

厳密ではありませんがそんな言葉。この言葉は先ほどのサガンの引用と対になっている。

「暗い海の底」。ジョゼはそこがけっしてつらいところではない、という。ここで連想するのはジョゼが 生活する部屋(特に押入れのなか)だが、あそこは、けっしてさびしい場所ではないのだ。 ある意味で守られた。幸福な場所だったかもしれない。 しかし、そこは永住する場所ではありえないのである。あってはならないのである。恒夫はそこから そとへと誘い出す人物として現れる。 この恒夫との生活が終わることをジョゼは予感している。 (海辺で写されたジョゼの顔はけっして明るくない) でもそのことで、誘い出されたことは無意味だったなどとジョゼは感じない。 「それもまたよし」。 なのである。

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断言しよう。 この映画は、けっして障害者という特定の人物にのみあてはまる状況を問題にした作品ではない。もっと普遍的な何かを描き出そうとしているのだ。 「暗い海の底」から抜け出すのは、私たちすべてなのである。

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もうひとつ気になることがある。それは、「お母さん」という言葉を拒否しつづける 幸治の存在だ。ジョゼの「私がお母さんになったるわ」という言葉は無意味だろうか?

無意味ではありえないと思う。どういう意味だろうか? 考えてください。

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(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ケネス[*] けにろん[*] 浅草12階の幽霊[*]

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