[コメント] レイクサイドマーダーケース(2004/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
私たちが日常見るものはすべて光といってよい。 映画は写真と同じく基本的に光を見る娯楽だ。
すべての光が花々のように私たちに優しく微笑みかえる わけではない。真昼の太陽は眩しすぎて直視できない。 突然目の前にあらわれる眩しい光は、時には恐ろしい。
この作品で、並木俊介(役所広司)は、なんどもこんな眩しい光に出会う。 カメラのフラッシュにはじまり、湖畔で車内に差す光、妻・美菜子(薬師丸ひろ子) の咎めるような眼差し、湖上に突然到来する車のライトetc。 そう、この光はこの作品全体を貫く、基調を作り出しているのである。
では、なぜ眩しい光は恐ろしいのか? それは予想がつかない、ということに 尽きるであろう。つまり予想がつかない未来を孕んでいるからだ。
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私たちはある状況のうちを生きている。ある状況があるということは、予想ができるものがある、ということを意味している。
ところがこの映画はまさに「予想がつかぬもの」を巡るドラマであることに気づかねばならない。 子供たちの存在自体がまさに予想のつかぬものである。もちろん私たちは子供について 予想をする。しかし子供の恐ろしさはまさに予想がつかないものだ、ということにある。
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こういった予想のつかぬものに対して、私たちはどう「状況」を処理する べきであるか。この点がこの映画を理解する一つの視点であろう。
湖のさまざまな映像は、このような光のありかたとシンクロしている。 それがこの作品に奥行きを与えていると思う。
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