[コメント] 抵抗〈レジスタンス〉 死刑囚の手記より(1956/仏)
限界状況での人間の行為は、けっして、ものがたりにつきることはない。
****書き直します*****
限界状況での脱走。
人気のあるハリウッド形脱走劇が、どうして生ぬるいのかは、この作品と 比較するとよくわかる。
人間関係にせよ、友情というものは、つねに過去形であらわれるもの。そうではない、相手がどういう人間であろうとも、信頼して、生きなければならない、という張り詰められた「現在」なしには、脱走劇は成り立たないのだ。
この映画は決してリアリズムではない。リアリズムほど観念的なものはないのであるから。そんな観念だった映画ではない。監督の眼差しは、つねに、観念がうまれる以前の「現在」に向けられている。それがほかの脱走劇とはちがった感触をもたらす。
そういえば、この主人公はどういう人間か、さっぱりわからないままだ。敵国に反対して逮捕された人間であるのは、わかる。だがかれの家族のことなどは解らずじまいだ。しかし作品は、それではなく、脱走するかれの現在をかきつづけるそれが、この作品の真実味をつくりだしている。
ハリウッド形の脱走劇にも好きな作品は多い。でも人気がありすぎる映画が、ひとつあるので(ご存じ)、この作品を推したい。しかし映画の意図するものが全然ちがう。
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