[コメント] ラン・ローラ・ラン(1998/独)
「走ること」。これだけで人間には意味がある。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
「走ること」。これだけで人間には意味がある。
ゴールに向けて走るときもあれば、遅刻しないように 走るときもある。
意味もなくはしるときもあれば、たんに運動のために 走るときもある。
ローラの走る理由も、局面によっていろいろかわる。 ぼくは、ローラが3度目に走るとき、目的地を失ってしまういっしゅんが 気になった。そう、それまで彼女は目的を失うことはなかったのだ。
「走ること」。それはある「空間」のなかでなされることだ。 だがそれは予期せぬ何かとの絶えざる衝突を産みだすことでも ある。アニメーションでつくられる一瞬のラグが、3通りのパターンを 産みだしえたわけだ。「空間」自体が、予期せぬ何かよって、変動し続けている。
可能的世界のありかたを示した?確かにそうだろう。だけど何故3度 走ったのだろうか?どうして、最後に守衛はローラの眼差しに脅えているの だろうか?
「行為」自体が、すべての潜在性を含んだものだということ。
考えると、走ること自体反復行為なのだが、ストーリーの反復も、 潜在するものを顕在化させることなのであろう。あらたな潜在性を つくりながらも。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (7 人) | [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。