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[コメント] ヴィレッジ(2004/米)

優れた存在は、既成のジャンルを凌駕し、それ自体が一つのジャンルである、と称される。「ホラーの枠組みでは語れない」と言われるシャマラン作品群は、ひつつのジャンル足りえるのだろうか?
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「恐怖」の感情とは「人知で克服できないもの」に対して起こるものであるとすれば、オチなどという人知の最たるものにこだわっていれば魅力がなくなったって当然なのに、なぜか監督はそれらに理由をつけようとする。監督にとっての「恐怖」とは、自分がなぜそれに魅了されるのか、いくつもの作品を作る中で解明していこうとするような一貫とした「テーマ」なのではなく、作品を作るのための素材に過ぎないのだろう。だから「得たいの知れない何か」にいともたやすく理由をつけてしまえるのだ。

結局監督は、「不吉な予兆」や「恐怖」を好んで描いているのに、「不条理なるもの」の魅力というものをまったく信用していないんだな、と思う。

この作品は、他の監督作品よりも観客に「恐怖」を味わわさせることを目的にしていない。つまりホラーではない。じゃヒューマンドラマ?あるいは恋愛もの?といえるかというと、そこまで訴求したものとも言いがたい。なぜならユートピア思想の矛盾や葛藤など本気で取り上げているようには思えないからだ。最たるはそもそもヴィレッジを創設しようとした動機だ。市場社会の悪の部分で被害にあったとはいえ、それが市場社会を頑なに否定する長老たちのマインドにつながるだろうか? そのお話上の嘘を本気で成り立たせようとするディテール作り、村人たちの感情のリアリティ描写が粗末すぎる。真実味を感じるのは、盲目のヒロインがフィアンセを助けたい一心で、森の中をかきわけ、穴におちたり泥に沈んだりするところくらいだ。「ヴィレッジ」という嘘に対しての、監督の薄っぺらいアプローチの仕方は、しょせんはオチのための設定としか思っていないところに要因があるのではないか。

となると本作は「オチ映画」というジャンルでしかないではないか。この作品が他のシャマラン監督作品よりバランスよく感じるのは、「オチ映画」でしかないからだと思う。「ただのオチ映画ではなく、人間が描けている」などと言われるように、付加価値がないとロクでもない言われ方をする「オチ映画」というのは難しいジャンルかも知れない。それとわかっていてあえて「オチ映画」をきわめていくのか、あるいは気の利いた分別を得意げに披露しているガキと変わらないのか。シャマラン監督の作品をまだもう少し追っかけてみたい私なのだった。

(評価:★3)

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