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[コメント] 亡国のイージス(2005/日)

堅い問題提起よりはまず娯楽であろう、という制作陣内の意思の一致は感じても、作者も監督も編集者もみながみなオレ流という感じで雲散霧消。(『ローレライ』『戦国自衛隊1549』のネタバレも多少含みます)
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







作者はイージス艦やF2といったメカなんだろうし、監督は男と男の一対一の対決みたいだし、編集者はアクションのテンポのようだし、みな関心がまちまちのように思う。そのせいかどうかわからないが、登場人物の動機や背景など、物語の構成で肝心な部分がかなり説明不足となっていて、ドラマに感情移入できないというのが一番痛い。

自分の限られた身辺の事情で事を起こすということもありなのかも知れないが、仮にも自分たちの行動が結果としては無差別テロであるということぐらい想像し覚悟はしているはず。なのに「ヨンファさん最後にひとつだけ教えてくれ」ってことはないだろう。もう既にこの戦いは自分たちの戦いのはずである。この期に及んで相手がどう思っていたかどうかなんて確認は絶対しないと思うが。

作者は「ローレライ」「戦国自衛隊1549」そして本作と、「世の中は一度ゼロに戻し一からやり直すべき」というモチーフを繰り返し用いているが、いずれもなぜ「リセットされてもしょうがない世の中なのか」ということを今ひとつ明確にしてくれない。言い換えれば本来あるべき世の中とはこうだ、ということが明確にされていないともいえる。だから、3作品に登場するこの主張の持ち主たちの誰をみても、未来を託したくないような心許なさを感じる。なまじカーツ大佐のような「わけのわからない人」でないだけに、この人たちはゼロにしたあと、どういうビジョンを持っているの?と、まったくあてにできないような印象をつい持ってしまうのである。その時点でキャラの魅力は大幅ダウンだ。となると、それに同調するもの、対抗するものの魅力も同様である。

最後、いそかぜを爆撃しようとする戦闘機が、間一髪で攻撃中止命令を受け爆撃が回避されるシーンで、私は心底命令系統(システム)が正しく機能することのありがたさを感じたのだった。もし戦闘機のパイロットが独自の「意志」を持っていて、命令に背いたらどうなる? 核とは違い「手の届く」現行兵器の在り様。攻撃範囲を絞れるということは、戦略的に使用が可能であり、それならば使用しようという者も現われる。そして、一個人の事情や思惑といった不確定な要素がシステムに介在する怖さ。そういうものを現に有してしまっている中で、国防や国家に対する自覚をもう少し持つべきなのではないか? 例えば、そういうところを描くとかはどうだったろう?

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (6 人)林田乃丞[*] ピロちゃんきゅ〜[*] ぽんしゅう[*] アルシュ[*] sawa:38[*] けにろん[*]

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