[コメント] 叫(2006/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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『ドッペルゲンガー』で、不可知でありながら日常に平板に居続けて、もはや恐怖をとおり越してしまった得たいの知れないいやな感じのものを描いてしまったホラー監督が、またどんなホラーを描くのか興味があったら、今度はその不可知なもの(幽霊)との対話だった。
かつて生きていた人々の念の残滓を、開発で奪われていく景色=棄景になぞらえて描く画像が好きだ。赤い服の女が居た療養所の黒い建物と同じように、徐々に海岸線から削がれ棄て去られる風景の中に、役所広司の住んでいる古い団地もやがてきっと飲み込まれていくのだろう、そういうことを連想させてくれるように、テーマを物語ではなく印象的な画で語ろうとするような、散文詩のような試みを感じる。
空を飛ぶ女、窓際の人影、剥き出された黄色いコード、流動化して地面にあふれ出した泥、コンクリの壁の裂け目、水溜りの小刻みな波紋、主張はそのような散りばめられた「単語」に託されている。なかでも、ゆるやかな坂道の途中のごみ棄て場で、棄てられた椅子を起こしてすわり、役所広司が奥貫薫演じる容疑者に尋問するシーンは、現世と棄景が重なる最高に美しい場面だった。ああ映画だ、って感じだった。
ミステリーとしてはがっかりかも知れないが、「俺がやったんじゃないか?」という、よくある主人公のアイデンティティのゆらぎと中盤まで思わせておいてそうじゃないと引っ張って、最後でまたひっくり返る物語を得意げにではなく淡々と語ることが生み出す、微かなバランスの不確かさを感じさせる物語も悪くない。
たまたま今を生きている人間と現存の風景は、棄て去られた多くの思いとかつてそこにあった風景を上から覆い隠すように存在している点で似ている。そのような棄てられたものたちの叫び声が、聞こえてきたらどうだろうか? いや、ちょっと耳をすませれば、それは間違いなく発せられているのではないだろうか? ラストの小西真奈美の声なき咆哮は、そういうメッセージだろう。問題は、監督のそういう問題意識が、個人的でかつ感傷的過ぎることかも。
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