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[コメント] 陰日向に咲く(2007/日)

「いい話」的物語として一見古典的にまとまっているんだけど、そこから透けて見える作り手の「今どき」な感覚がチラ見できるのが興味深かった。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







モーゼこと雷太が「自分はジュピターさんの側にいたかっただけで、お笑いなんかやりたかったわけではない」と言うと、弁護士の寿子が母鳴子も「雷太さんの側にいたかっただけで」「同じだったんです」、と言うのだが、鳴子には、自分が雷太の側にいたいというだけではなく、雷太の夢かなえてやろう、売れっ子にしてやろうという意志があったと思う。鳴子はそのために必死に努力を続けた。雷太がまるっきり努力をしていないというわけではないものの、相手をおもいやったり、努力をするという行為に対しては2人の間に差があるように思う。「相手のために努力する」という「実際の行為」よりも、「一緒にいたかったから」という「純粋な思い」の方にこそ、作り手は高い価値を見出しているように感じる。

岡田准一演じる主人公は、他人の悲しさに情が移り、純粋で、感受性も持ち合わせているかのように思えて、自分の周りに悲しさを味わわせていることに気づかない、もしくは気にとめない。自分が悲しいと思った対象だけが悲しい。自分が悲しいと思わない対象がどんなに自分のことで悲しんでいようが知らない。自分の母親の半生に向き合うよりも、見ず知らずの婦人に同情するほうが手軽に感動が味わえる。

どうにもこの作品は「目先の苦労に向き合う」ことや「利他的にふるまう」ということの価値観に触れないよう、触れないように、しているように思えるのだ。そういう切り口が説教臭くなって恥ずかしいという作り手の照れなのかも知れないが、そういうことも含めて、とても今どきな印象を受ける。

主人公が父親と和解するシーンで、父親が「おい、一緒に写真を撮ろう」というのも、凄く違和感があった。あれは「飯まだだろう、一緒に食おう」じゃないかなって気がする。そんな記号的な行動をとるだろうか。宮崎駿だったら、この作品の登場人物たちは生きている感じがしませんね、っていいそう。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)ペペロンチーノ[*] Master[*] 水那岐[*]

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