コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国(2008/米)

ハリソン、ルーカス、スピルバーグで「一生インディ・ジョーンズ宣言」。(もうやらないかもだけど)
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ラストで、シャイア・ラブーフが拾って被ろうとする帽子をハリソンが奪いとって自分で被る。あの時の「ニヤッ」っとした表情をモニタを覗いていたルーカスとスピルバーグも、同時に「ニヤッ」としていただろうことは想像に難くない。

スター・ウォーズエピソード1,2を見たとき、「なんだかスター・ウォーズぽくないな」と感じた。同じキャラが出ていないとかいうことではなく、ルーカスの作品というよりも、ILM工房の作品ということになったからだろう。ルーカス自身のイメージをクリエーターが具現化するというのではなく、イメージを創造するところから若いクリエーターに自由にやらせて、血をいれかえていった。観客のほうもどんどん若い新しい人が増えていってスター・ウォーズは巨大化した。しかしインディシリーズはその道を選ばなかった。そこにルーカスの気持ちがあると思う。ハリソンが演じてスピルバーグが撮る。それ以外はインディ・ジョーンズじゃない、そういうことにしたんだと思う。

「年代記もの」と「一人のヒーローもの」という違い、元々が「昔どこかで見たことのある冒険ヒーロー活劇」という繰り返されてきたフォーマットのものを、お金をかけてハリソンとスピルバーグでやったから成功したシリーズだった、という必然的な判断はあると思うが、それよりも三人のお楽しみ、または友情の証としてとって置くことにしたのだろう。

スピルバーグにしても、ひたすら演出職人として精を尽くせる「雇われ監督」という仕事は嫌いではないだろうが、残りの人生で自分が本当に撮りたいものが沢山あるはずで、もうそれをルーカス以外の人とやる気にはならないだろう。そうしてこのシリーズはルーカスとスピルバーグの中で、一層「友情の場」としての意味合いが強まる。そうなればインディはハリソンしかないわけで。ハリソンだって、もうアクションは…と思っているだろう。でも、インディだったら自分がやるよ、と思ってる。三人とも「心はひとつ」だったのだろう。

ここには、まだそんなに売れていない青年期に出会った者たちが、それぞれの分野でTOPとして君臨するようになり、そうたやすくいっしょに会うこともできなくなったところを、これだけは「俺たちのジャマするな」といって旧知の仲間と再会を楽しむような、そういう貴族の楽しみのようなものを感じる。多分もうこれで終わりなんだと思うけど、ノブレス・オブリージュを期待するような動きがあったら、また三人は立ち上がるでしょう。

そしてハリソンの年齢に合わせてインディを描いた。ケイトとのフェンシングのお相手はできなかった。「永遠のヒーロー」を最高のVFXやマテリアルでサポートするのではなく、老いを隠そうとしないで、キャラクターの良さに持っていった。超人的なヒーローはいなかったけど、ちゃんと歳をとりながら相変わらずなインディがいた。ここが好き嫌いの別れ目と思うし、シリーズを知らない新しいファンには何が面白いのか受け付けられないということにもなるでしょう。でも私は、このシリーズがスターウォーズのようなマスにならず、老いを隠そうとしないインディであって良かったと思う。スタントもちゃんとハリソンの動きとつながるように重たそうな動きをしていた。ロジャー・ムーアの頃の007のように、スタントの動きだけがきびきびしているようなのを見たらがっかりしたかも知れない。

ところで賛否両論の多い(というか一方的に否か)のアレだが、あの遺跡あとから浮かび上がる円盤の絵を、挿し絵か何かでどうも見たような気がしてしょうがない。巻き上がった岩石がいっせいに落ちて、同時に円盤が飛び去っていくところを主人公がみあげているシーン…。このキテレツな感じ。気のせいなんだろうけど。このシリーズの「往年の冒険活劇」っていうのの既視感というのは素晴らしい。やっぱりそれを楽しむシリーズだ。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (11 人)YO--CHAN[*] Myurakz[*] Osuone.B.Gloss[*] けにろん[*] ロシアンブルー ナム太郎[*] SAI-UN Keita[*] FreeSize[*] づん[*] ぱーこ[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。