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[コメント] キラー・ヴァージンロード(2009/日)

「AMUSE祭り」だったのならPerfumeも出してくれればよかったのに。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







うそうそ。絶対やらなくて良かった(Perfume大ファンですが)。むだなカメオ出演までやるようだったら、もっと評価が下がったでしょう。その点ではむしろ節度があったほうかも。

「どんじりびり子」な女の子の心性とか、そういう子がまわりを幸せにするのだとか、おじいちゃんの愛情とか、小林さんとの互いを必要としあうまでになる友情だとか、そういうものをまともに描く気がないっていうのはそれはそれでいい。とにかく笑わせるんだ、っていう作りで笑いが冴えないのがつらい。

この作品の「本来の」笑いの基調というのは、「やってる本人は真剣そのもの」なのに「状況がマヌケ」というおかしさだと思う。必死にやればやるほど状況が悪くなってからまわりする面白さ。であれば、登場人物たちは自分たちがやっていることにひたすらまじめなほうが面白いし、そういうふうに見えるように描かれるほうが面白い、そういう質の笑いだと思う。だからシュレッダーに髪の毛(かつら)が巻き込まれるのを止めようとするとかならマッチするのだが、登場人物たちの振る舞いや演出が過度にこの作品の中の現実感を逸脱したオチャラケさやシュールさを披露するのは逆効果のように思うのだ。

この作品、仮タイトルが、「ゴリラバタフライ」→「デッドヒート・ヴァージンロード」→「本題」と変わっていったと記憶している。おそらく「ゴリラのぬいぐるみを背負って泳ぐ女の子」は、この作品の当初からモチーフとしてあったのだろう。そもそも本作の出発点だったかも知れない。で、これこそ、先にいった「登場人物はいたって真剣なのに、やっていることがマヌケ」な笑いなのだ。これがまったく不発なのは、それが笑いになる状況を作り損ねてきたからだと思う。監督としては、いろんな笑いをどんどん足し算していって、作品の肉付けをしているつもりで骨格をゆがめてしまっているのだと思う。トランクケースの崖下り場面でハチャメチャな超現実的ギャグ(<これが一番面白かったんだけど)を展開してしまったら、ゴリラのぬいぐるみをかついで泳ぐという現実的なギャグは潰れてしまう。泳ぐびり子を見た小林さんが「あの娘面白い!」って言ったところで、あんたのほうがさんざん面白いじゃん、となってしまうのだ。女優によってはゴリラのぬいぐるみとの組み合わせだけでもおかしい絵になるってこともあるだろうが、樹里ちゃんじゃ相手が悪い。ぜんぜん普通。

また、本作の設定はブラックコメディであるのにも関わらず、ラストで、ふたたび死体をトランクに入れて旅が始まるっていう結びにあまりいい気持ちがしないのは、それが笑いになるほどのシニカルさを担保してないからだろう。そんな具合に、質の違う笑いが混在して不協和音を起こしてしまった、というのが本作の印象だ。

それにしてもその不協和音の元にもなった数々の笑いっていうのが、落下するはさみにスローで飛びつくとか、返り血は赤いペンキだとか、胸元にゼリーをかけて「でちゃった」「でちゃったね」とか、暴走族の前をゆっくり挨拶を交わすばあさんが「今の人誰だっけ」とか、やらないほうがよかったんじゃないかっていうものが多い。つまらないギャグは0点じゃなく、確実に引き算だよなあ。

木村佳乃のすっとんきょうさ、「よよよ」ってなる樹里ちゃんのリアクションや不思議なつぶやきは面白かったけど、それは枝葉だからなあ…。

文句ばかりでじゃあなんで3点かというと、この作品の上野樹里がかわいいからです。いろいろな作品で彼女が演じる役っていうのは、気難しい子とか、剣のある子とかっていう、平たく言うと「性格の悪い人」というのが案外多く(のだめもそうだし)、こういう屈託のない役柄っていうのが結構貴重だからだ。彼女のファンは彼女に萌え心を抱きつつ、スクリーンではおおむね「いやな子」を眺めることが多いというジレンマを抱えている。そういう意味で「マイフェイバリット上野樹里」の作品として現時点での候補にあげたくはなるのです。ま、それは樹里ちゃんファンと別のところで議論していきたいと思います。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ナム太郎[*] ぐ〜たらだんな

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