コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] クヒオ大佐(2009/日)

無力王クヒオ大佐を見る。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







そもそもがクヒオっていう名前の怪しくも間の抜けた語感。実際にこういう名前ってあるのだろうか? 日本人が日系欧米人になりすますなら、もっとそれらしい名前ってあるだろう。「それらしくする」という態度からは騙そうという意図が色濃く見て取れるわけだから、逆にそれらしくない名前だからこそ騙されてしまう、もしくは本編のようにある種の別人格になることが発端で、最初から騙そうという意図は少なかったのかも知れない。しかし本編はそういう人物の実像にせまろうとするものではない。

本編は、湾岸戦争の時代を背景に欺瞞の世界の入れ子構造の中にあるしょぼくれた詐欺師の物語を描いて行く。「第一部 血と砂と金」に対する「第二部 クヒオ大佐」のタイトルの小ささからして、彼の無力で矮小な存在たることを強調する。

銀座の女じゃ歯が立たない、相手にできるのは、せいぜい仕出し弁当屋のハイミスの女社長か児童センターの職員くらいか。彼に騙される女性たちもまた一様に無力である。セレブを夢みて金を毟られ続ける社長はもとより、足首丈のジャンスカに弛んだ白いソックスの冴えない女の子でさえ「主体的にセックスする女性」という像に騙されているようにも見える。

バカじゃねえか、騙されてんだよ、賢者を名乗る者は愚者へ「教えてやろう」とする。しかし彼女たちは知らないわけではないのだ。パトカーに敬礼する姉の前にまったく無力な弟。「しょうがねえヤツ」へ「しょうがねえ」と言ったって何にもならない。愚者の無力の前になすすべがない。

弟の位置にいれば、騙される女と騙す男の図式がくっきりと見渡せるのだろう。物事は見渡せれば何でも矮小に見えるものなのだ。弟も先物ではカモられているのだし。つまり「騙されない」というのは、見渡せる位置かどうかだけの問題。「なんでこんな男に?」と大佐を見て人は思うのだろうが、それは騙された人がバカなのではなく、たまたまその男と同じ位置にいたっていうだけのことなのだろう。

人は無力の力で現状を押し返そうと働き、また嘘とわかっていてもそれを受け入れて安心したいという無力にさらされている。そういう力学にからめとられている。この物語はそれが言いたかったのではないかと思う。

「いやなことがあったら空を見る」それがクヒオ大佐の無力の力。子供のときから空想に逃げ込み続け、仮の言葉を話しながらこれからも逃げ続けるのだろうし、おそらくは自分の言葉を持とうとせず、したがってまじめに働くなどという生き方はしないのだろう。この物語は、そういう生き方を肯定も否定もせず、ただ無力の人クヒオ大佐を見せるのだ。

クヒオ大佐を見る。私の無力を知る。雪印、ミートホープ、赤福、白い恋人、耐震偽装マンション、社会保険庁、柏崎刈谷原発・・・まだまだこれからも騙され続けるんだろうな。私だけは絶対騙されていない、と思うとき、自分も大佐たちと同じく等しく矮小であることを思い起こすというのがこの作品との良い関わり方かも。そう考えると、「宇宙を見る 地球を知る」と歌うクレイジーケンバンドのエンディングはいっそう味わい深い。

そもそも堺雅人の顔芸を見せたいがゆえの企画っていうことなのでしょうが、そこだけで終わってしまいそうなところを松雪泰子・新井浩文の仕事で作品の陰影が何重にも増した。特に助演の果たす役割の真髄というものを見せ付けられたかのような新井浩文の演技、もう1回書いてしまうけど、敬礼する松雪の後ろで無力感に打ちのめされるあの時のあの表情は凄かった。

※クヒオっていうのは、昔ハワイに実在した政治家の名前にあるそうです。その人の名前がつけられた通りがワイキキにあるとのことです。

(評価:★4)

投票

このコメントを気に入った人達 (6 人)煽尼采 IN4MATION[*] やすべえ りかちゅ[*] ペペロンチーノ[*] シーチキン[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。