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[コメント] 海街diary(2015/日)

失われてしまった日本家屋という日本人にとっての楽園。そこにつどう美人四姉妹をただただ眺めていればいいのだ、と思う。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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ドラマ的にいえばクライマックスは大きく二つあったと思う。一つはすずが三姉妹の手前、三姉妹の家庭を壊した元凶である自分の母親に関する発言をしないようにするため、たまにわき上がる母の記憶を圧殺しなければならない立場にあり、そのことがつらかったと、その心情を幸に吐露するところ。もう一つは幸のアメリカ行きの話が出たときに、この家はどうなってしまうのか、というところへきて、妹たちが家を守ってあげると約束してくれたところ。

シラスサンドや、突然の母の訪問、二ノ宮さんとフクちゃんの恋などなどあまたの「いいエピソード」はほかにもある。もっと掘り下げてみたい、というよりも、ちょっとおなか一杯なのだ。正直、「え、ここに風吹ジュン?」「え、リリー・フランキーも出てるの?」「うわ、大竹しのぶかぁ、でも脇にこれだけ味のある役者が出てる以上、それを上回る存在っていったらやむを得ないよな」「え、加瀬亮もか」「うわ堤真一」…こんな具合。もうこの人たちがこぞっていい芝居をするんで、なんかもう華やかすぎちゃって。

最初に述べたように、このドラマ、すずという異母妹を引き取ったことから、基底としては「解決済み」の過去を思い起こし、そのことに心が揺れ動こくすずを入れた四姉妹の物語と、幸が中心となって支えたこの日本家屋(二人の妹もここを出ていこうとせず、自室に閉じこもらず、居間や縁側で積極的に時間を共有しあおうとするという形でここを支えている)、この場そのものが重要なのだと思う。ここという場、個人という区割りがゆるく平滑に家族がまじりあうという日本家屋の家であったからこそ、すずという新しい家族を呼ぶことができたことは忘れてはならない。姉妹がそれぞれマンションに住んでいる場合はもとより、仮に三人が一緒のマンションだったとしても、壁や廊下で仕切られて見通すことのできないマンションの間取りでは不可能だったと思う。法事から疲れて帰ってきて、座り込み、ちゃぶ台にアイスクリームを並べて、思い思いの場所で食べ始める。その横で仏壇に手を合わせる。ソファや椅子で場所を限定される洋風のリビングではここまで平滑になることはできない。その平滑な日常の中の四姉妹だけを見ていたかった。他のエピソードは映画ではもっと削除してよかったように思った。

ふだんは自覚することもほとんどない、当たり前のようにその空間で暮らしていることの尊さ。喪服の四姉妹が鎌倉の海岸に下りてくる。そういう特別な時にふだんの当たり前に一緒にいることの価値をたまに確認できればいい。思いを再確認するところはやっぱり砂浜なのだ。『麦秋』なのだ。結局この映画で最後に残ってくるのは、多くの日本人が捨ててしまったこういう場所への羨望だった。

(評価:★4)

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