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[コメント] バッド・ジーニアス 危険な天才たち(2017/タイ)

自己責任のつもりがいつの間にやら引くに引けない状況へと追い詰められ苦悩するヒロイン役の女優さんが魅力的。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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所詮子どもであるからまだ純粋なのに、頭がいいからついつい狡知も思いついてしまう。こういう才気煥発な子っているよなぁと思わせるヒロインのキャスティングが良かった。そしてもはや引くに引けない状況に陥り、苦悩に顔を歪ませながら計画を遂行せざるを得ない終盤の芝居も良かった。

自分の意志で始めたことで、自分が主謀者なんだから、いつでもみなに「私はやめる」と宣言することができる。文句は言わせない、と、そう思うわけだが、現実はもう止めることが出来ない、引くに引けない状況となってしまうことがある。それは自分が起こした行動によって、「(自分への)殉教者」を生み出してしまった時ではなかろうか。同期の秀才の男子を計画に巻き込み、そのことでその男子が別の友人の奸計で暴行される事態を招いたため、計画を放棄しようとするが、逆にその男子から計画に誘われる。その暴行のためにもはやそれしか手がない、とその男子に言われれば責任上もはや断れない。引くに引けない状況に人が陥る苦悩のドラマとしては面白かった。最後はその秀才男子の悪落ちに、自分が取り返しのつかないことをしてしまったのだと、遅ればせながら悔悛する結末もいいだろう。

が、一方でこの作品がカンニングが成功するかどうかのスリルを見せ場におくことが作劇の意図にあることが、反戦映画の戦闘シーンに痛快さを意図しているような違和感を覚える。カンニングを痛快なものと見せるには、例えば学歴社会へのカウンターになっているとか、あるいは貧乏なヒロインたちが、金持ちのボンクラ息子や娘を知力で出し抜くとか、そういうふうに据えるものだが、反戦映画でも戦闘シーンは戦闘シーンで盛り上がるような映画作りでいいという考え方なのか、もしくは、「不正は悪」だが「金で解決することは悪いことではない」という、倫理観のあり方が日本と文化が違うからなのか、そこはよくわからないところだった。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)ぽんしゅう[*]

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