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[コメント] 砂の器(1974/日)

饒舌と欠落。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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推理物というよりは人間ドラマ。概ねそこが評価されているようだけど、自分としては不満。いくら人間ドラマとはいえ、犯人は「なぜ殺したのか」という動機の解明こそが、物語を牽引していることは変わらない。で、その動機は一口に語れないほどの犯人の負った宿命があったのだ、という点はいいと思うのだが、その宿命の部分は動機とはいえないと思う。つまり犯人がなぜ三木元巡査を殺したいと思ったのか、あるいは殺さねばならなかったのか、犯人のその部分における、その時の犯人の葛藤が欠落している感じがする。犯人はその時三木をどう思っていたのか、そこの部分が何というか記号的なのだ。犯人の秘密を知る男が突然現れたんだからお察しの通り、というばかりに。

わざわざ二度目に人目のつかない場所と時刻で会って犯行を行っているのは、計画性があったからか、そもそも三木と会っているところを他人に知られたくなかっただけで、計画殺人のつもりはなかったのか? 自分の父親と何十年も連絡をとり続け、今の父親の様子を知る男の出現に「困ったことになった」だけだったのか、懐かしさや愛憎は覚えたのか? 父親がまだ存命ということを知ってどう感じたのか? どういう感情を持ったうえでの殺意なのか? 殺意の動機の背後はもう十分伝わるばかりに描写されるが、それを描くことに傾注し、そこでどういう感情が発露したのかを省くというのが、自分としてはまったく釈然としない。

三木巡査と犯人の間に起こった感情の沸点を描写することが、作品全体のバランスを悪くするということなのであれば、せめて犯人が「過去」や「父親」との訣別をどう果たしたのかだけでも描くべきだ。それがないから動機が伝わってこない。そしてそこがわかったうえで、犯人にその動機をもたらしめた理由には壮絶な過去があったのだ。と、そういうふうであって欲しかった。そのうえで、犯人の音楽創作への渇望、情熱、源泉はどこから来るのか? そしてそんな彼にとって、「宿命」とはどういう意味を持つ作品だったろうか? そこまで踏み込んでも良かったかも知れない。

それを描くより、「宿命」のフル演奏と巡礼の旅を描くことのほうが重要という制作側のセンスが本作の場合は当ったのだから、それでいいのかも知れないけど、私には饒舌な気がした。時間とお金をかけてじっくり撮影された昔の日本の四季折々の風景の数々は素晴らしいの一言だけど、「美しく悲惨な風景」という映像詩という印象が強かったのは、描くべきドラマの欠落ゆえに感じた饒舌だったように思う。辛口ついでに言えば、演奏シーンもあれだけ長くなると、観客のいかにもエキストラっていう感じの演技(?)も気になってくる。鬼気迫る演奏に魅了された、っていう劇場の雰囲気は全然醸し出せていない(当たり前だけど)。作り物としての嘘がバレている。

ただ単に「知られたくない過去」の抹殺というより、もっと複雑な事情があるのではないか。uyoさんが推理されたような、原作以上、映画以上ともいえるようなドラマがあったのではないか? そう、まさにそういうことを知って腑に堕ちたかった。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ぽんしゅう[*] けにろん[*]

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