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[コメント] ゴジラVSキングギドラ(1991/日)

2大インスタント怪獣日本襲撃!(84年版『ゴジラ』のネタバレもあり)
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







核爆発や核物質のそばにおくだけで即席麺でも作るかのように簡単に怪獣を作れることにしちゃったことに驚きです。チャックたちはキングギドラの出来上がりが、3体があんなふうに1体に合体して、怪光線も吐くことができる、というふうになることを的確にイメージしていたんでしょうか? ああ未来からきたからわかるのかな? でもゴジラの復活はわからなかったんだ? …まあそれはよしとしても、ゴジラが規模も環境も異なる条件下で2度ともまったく同じように誕生してしまうという設定は少々安っぽすぎでしょう! …「怪獣の出自」に安っぽいもうそっぽいもないですから、それもよしとしましょう。

私が驚いたのは、劇中の主人公達がキングギドラに対抗するためとはいえ、ベーリング沖に沈む恐竜を核攻撃しようとしたことにあります。正直どうなることかと思いましたよ。あわや日本人がこの手で「ゴジラを作っちゃう」ところだったんですから。さすがに「日本人が他の生物に核を浴びせる」という筋はさるところから「待った」がかかったんでしょうが、ここだけ止めても遅いです。シナリオの最初からやり直したほうがよかった。なぜなら今度はキングギドラを破って暴れまわるゴジラを倒すためといって、「まさか」と思っていたら案の定、「キングギドラを甦らせられないだろうか?」と勝手なことを言い出すのですから呆れます。これを、強い兵器に対抗するため、より強い兵器を作り出す、というアイロニーとして描くでもなく、登場人物たちの行いは愚かしいことだ、間違っている、と子供たちにメッセージを伝えるでもないのだから、ひどい冗談でしかありません。

核の脅威をテーマに内包してながら、核についてこんなにもイージーな態度だったというのは、当時の制作サイドはどういうことになっちゃってたんでしょうか? 

84年版ゴジラで三原山に葬りさったゴジラの最期を見て三田村総理が流した涙の意味は、ゴジラを産み出したのが人類のぬぐいがたい責任である、という痛恨の思いからだった筈です。日本の新しい世代や、さらに未来の世代が、こんな安直な思考や行動に走るようでは、総理もさぞや無念なことでしょう。

(評価:★2)

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