[コメント] 39 刑法第三十九条(1999/日)
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リズムや絵の作り方やキャラクター造型の絶妙さは、間違いなく「映画的な快楽」を刺激してくれるのだが、反面で、「医者はいつから鑑定するだけになったのか。診断だけしてそのあとのケアをしないのはおかしい」「精神鑑定からはその人間の姿というものが何も伝わってこない」「僕が刃をつきつけたのはその法律に対してだ」おそらく本作のテーマについては全部台詞で説明してしまっている。脚本と映像の文体はそれぞれに優れているのだが、足し算でこそあっても、相乗効果を生み出していないように思う。本は本、映像は映像という感じなのだ。男の「復讐の方法」における狙いは、多重人格を装うことで無罪を勝ち取ることではなく、演技で精神鑑定がパスできることを証明する(例えば後日マスコミなどに、あれは全部芝居だったと公表するとか)ことで、39条の無効性を訴えることであった筈だ。それが型破りな精神鑑定人の登場で、シナリオが狂っていき、はからずも(フィクション的には好都合の)法廷内で真相を明らかにするという劇的な展開に変化していく。男がどのあたりで「この場でばらしてしまってもよい」と思うようになったか、香深という鑑定人に身をゆだねようという気になったか、そこにいたるまでの心境、不安や計算や、委ねることでの安堵などの、言葉で「説明」しちゃっちゃ面白くないようなところを、映像が語ってしまっているようなところがあれば、もっと良かったのではと思う。詐病(字あってます?)に隠れていた、復讐に駈られた男の精神の(妹を殺されたというショックに端を発する)歪みという、本当の病にやっと目が向けられていくという「希望」も言葉での説明だったし…。
強いて言えば、「精神鑑定って本当かよ?」という不満を、本音ではダイレクトにぶつけたいのだが、「39条が被告救済の道具として、何かというと用いられるという現状は、如何なものか」というような、どうもワンクッションおいた言い方になってしまう歯切れの悪さがある。しかし、妹をいたずらして殺した男の方を物語にして、正面きって「精神鑑定」をテーマにしても、娯楽作品に仕上げるのは大変困難そうだ。そこで、2つの事件を重ねて、本来のテーマである「心神の喪失」のほうを、後から「理性の目線」で、なぞってみせることで描いていくというアイデアなのだろうが、これには感心した。
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