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[コメント] Dolls(2002/日)

置かれているだけの人形を見て「魂の喪失」を感じる時、同時に「魂の容れ物」という観念がよぎる。人形が怖かったり人形に惹かれたりするのは、無いことで逆に魂の存在を意識してしまうからではないだろうか?
おーい粗茶

人形のように人間が演じることで何と言うか、純化された魂のようなものを見出だすことができた。

出演している番組、著作などをあまねく見ていた「ビートたけしファン」であった私は、北野監督がどんな傑作を作ってもそれは元々たけしに内包されていた世界であり、これくらいはやるだろう、という感じがいつもしていたのだが、今回のような研ぎ澄まされた死生観はまったく知らなかった。満開のバラの中に立ちつくす男女のシーンに濃厚に漂う死の香り。「本物のあちらを見なすったね」と思えるような素晴らしさ。ハードワークに身を起きギリギリに生きていくことを標榜していた売れっ子芸人が遊戯のように親しんでいた(例えば『ソナチネ』のように)死とは違う、バイク事故以降獲得した新しい知覚なのだろう。そういえば何かのインタビューでも、生死をさまよっている時に「「ビートたけし」を着ているような感覚」というようなことを言っていた。着想の源はそれかな?なんて思う。

余談。深キョンの劇中歌のアレンジが今時なんであんなピコピコパコパコなのか、凄く違和感があったのだが、あれは小西康陽が、テクノ歌謡の先駆的作品、たけし初シングルの「俺は絶対テクニシャン」に対するリスペクトと見たがどうか?

(評価:★4)

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