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[コメント] シン・ゴジラ(2016/日)

特撮映画にも『ゴジラ』にもそれほど思い入れのない私が楽しめたのはどういうことか。(※2回目視聴追記)
BRAVO30000W!

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







最初観た時(2016年8月2日)は「面白かったけど1回観れば満足」と思っていた。なのに、あとからじわじわくるものがあって、今日(同年8月8日)夜の回に知人を2人誘ってまた観に行こうと思っている。

映画に関する詳しいレビューはシネスケの面々がさんざん書いてるので今さら私が後追いすることもないのだが、誰が言ったかこの映画は「ポリティカル・フィクションである」という言葉について反論はないものの、私はこの映画は「プロトコル・アクションである」と言いたい。

どういうことか。

官僚たちが中心になって物語が進んでいくという点で、専門的な台詞の羅列も相まって「ポリティカル・フィクション」つまり「事実に基づいていない政治的なドラマ」とラベリングするのは間違っていないと思う。実際、結構な取材をした上に政府の協力もあって、セットはもちろんのこと、台詞回しもかなりリアルにしているとのことである。それはSF映画に科学考証を持ち込むのと大差はない。

ただ、どれだけ優秀な人材が集まろうと、人知の及ばない災厄の前には手も足も出ない。直近では3.11の経験があるから日本人にはわかりやすい。そこに名も知らぬ家族のエピソードや官僚の家族の話とかプライベートな話を持ち込んでも、近いエピソードを体験した人なら共感できるだろうが、それこそ3.11によって受けた被害も千差万別であるわけだから、中途半端に描いたところで共感を得られるのは一握りの人間でしかない。最悪、「あの震災ではもっとひどいことが起きた」とか難癖をつけてくる人も出てくるだろう。なので、官僚たちのやりとりを主軸に置いて、市井の人々は逃げ惑う(それも指示があって様々な反応をした人々がいたのはよかった)モブに留めたのは賢明な判断だったと思う。

また、あれだけ被災しておきながら血を流したのはほとんどゴジラだけというのも、おそらくはレイティングを意識してのことだろう。それが「子供にも観られる機会を」ということなのか「今までのゴジラはそうだったから」なのかは知る由もないが、間口を広くできるならそれに越したことはない。

ゴジラを倒すカタルシスに欠けると言う人もいるが、『マッドマックス 怒りのデス・ロード』などを観ても、ラスボスは意外と呆気なく倒されてしまう。そこをドラマチックに盛り上げようとすると予算が余計にかさむからなのか、あるいは「もうそういう時代じゃない」のかはわからないが、あれはあれでいいと思う。ああいう巨大な災厄を沈黙させるには、最後にそれを上回る威力でねじ伏せるか、なんかものすごいビームで爆発させるしかなく、「この映画ではゴジラだけが唯一のファンタジー」を貫きたかった監督たちの意向を考えれば、ああいうおさめ方が一番現実的だったんだと思う。それよりも、ゴジラが鎮まった後の焼け野原を見せることが重要だったんじゃないだろうか。

話がだいぶそれてしまった。

何をして「プロトコル・アクション」なのか。特に自衛隊が活躍するシーンに至っては、あちこちで指示・命令・伝達の台詞が飛び交う。これって、一部の男子にしか共感を得られないかもしれないけど、何か専門の機関が専門的な言葉で、感情をおさえてひたすら支持・命令を復唱していくというシークエンスはたまらないものがある。間違えることのない、間違えてはいけない伝言ゲームが最後まで続いた時、その先の砲撃なり作戦行動なりがとてつもなくかっこよく見える。そういう手順(プロトコル)を踏まえた上での行動(アクション)というのは、同じものでなければ観ていて飽きない。それを鬼のように繰り返すのはアニメのエヴァンゲリオンでもさんざん使われてきた「演出」であったが、この作品においてはかなり現実に忠実なプロトコルを踏んでいるだけに、リアリティが増してより迫力を感じる。それはタイ映画の『マッハ!!!!!!!!』が古式ムエタイの技をマジで相手役に食らわせることにより、「当てたフリ」「当たったフリ」をするアクションよりもリアリティを感じるのと近いものがあるだろう。

つまりはこういうことだ。

たいていの日本人なら名前だけでも知ってる怪獣が日本にやってきて、たいていの日本人ならそういう人たちがいるのは知ってるけど実際何をやってるのかわからない様子をリアルに見せていて、半分くらい何を言ってるのかわからないけど、少しでも休んでたらヤバい状況になっていて、なんかもうかっちょいいプロトコルのオンパレードで、日本人なりに努力をして、それでも怪獣は強くなる一方で、押してダメなら引いてみなしかないでしょってなって、もう首相もいないし東京もかなり壊滅状態に陥ったから、ありったけのものを使って、知恵と勇気というより知恵と実践力で勝負して、辛うじて怪獣を黙らせることはできたけど、安心はしてられないよね、みんなの日本はこれからだよ、っていう話だよね、これ。

映画の字幕制作をやってきた人間からすると、テロップの出し方も字幕の出し方も基本ルールを度外視しているんだけど、途中で「ああ、そこは大事なところではなく、これだけの情報があるのね」という理解でいいとわかってから、

無人在来線爆弾

で大爆笑&拍手喝さいですよ。

なんか話がとっちらかっちゃったけど、純粋に観てて楽しかったし、間違ってるかもしれないけどこれ観て「ああ、庵野監督は自分なりの『ウルトラマン』をやりたくてエヴァを作ったのか」って思った。

かなりドメスティック(国内的)な内容なので、文化も行動様式も大きく違う欧米市場では一部のオタクしかウケなさそうだけど、客にそれ以上食べられなくなるまで料理を提供するのが最高のもてなしと言われる中国あたりで上映したら意外とウケるかもしれない。

なんか久しぶりにレビュー書いたから文章ごちゃごちゃになっちゃったけど、私からは以上です。

※本日(8月8日)2回目を観て追記

複数回観た人が言っていたが、私も2回目のほうがわかりやすかった。あのスピードで来るんだなというのがわかってるし、何より話の大筋は理解しているというのも大きい。

2回観ても面白さは変わらないけど、石原さとみの帰国子女的発音がかえすがえすも惜しい。海外市場はほとんど捨てたも同然だろうから細かいところはいいんだけど、役柄が日系3世でなく本当に帰国子女だったら完璧だった。竹野内豊長谷川博己の発音はあれでいい。一番ネイティブっぽかったのは、総理代理の通訳をしていた人だった。それと、なんだかんだ大勢俳優は出てたけど、日本では実力派に属する人たちが多かっただけに、余計に石原さとみの「頑張り」が見えてしまった。辛うじて見た目と衣装は役柄的に合っていたけど、それでも些末なことなので、特に作品の質に大きな影響はないのが救い。

ヤシオリ作戦は福島原発を彷彿とさせているように見えるけど、暴走した原子炉を冷やすというのは昔から現実でも言われていることだし、何より作戦名称からもわかるようにヤマタノオロチ征伐をモチーフにしていることのほうが強いのではないか。日本の原初的な「化け物」退治を現代に再現することによる「日本人らしさ」の象徴とでも言おうか。

改めて観てつくづく素晴らしいと思ったのが、第1形態から第4形態まで進化させる過程を見せたところ。ゴジラはこの作品の唯一のファンタジーなので、一般常識を超越した進化とかは何かのメタファーくらいに思っていればよくて、それよりも第1形態で這いつくばらせたことによって人間や街並みとの対比が実にわかりやすく、それが巨大になることによって短時間で「こいつかなわねえ」感を見せつつ、視点も空からの攻撃が美しく見せられるような位置に持ってくることができる。これが最初からあのサイズだと、出オチ感というか「面白いアングル」がすぐにインフレ状態になってしまって、ゴジラの脅威を持続できなくなってしまう。

あと、大量のコピー機やノートパソコンが並べられる瞬間のかっこよさというのも再認識した。普段、そんなにまとめて見ないものを見せられる迫力というか、とにかく現実世界にあるものを上手く使って作劇のテンポとテンションを保っているのが素晴らしい。

カット割りも従来の実写邦画というよりアニメのそれに近く、テンポもよくなるし予算も抑えられるのは今後の邦画にも影響を与えることになるかもしれない。

そして「頼むから続編は作らないでくれ」と実感した。

(評価:★4)

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