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[コメント] パッション(2004/米)

これは人間・イエスの物語であり、彼を取り巻く信念の人々の物語である。敢えて言おう、聖書を、キリスト教を知らない人にこそこの映画を観てほしい。[テアトルタイムズスクエア/SRD]
Yasu

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







この映画を観るかぎりで言えるのは、イエスは「人間」であったということだ。他の登場人物と同じ、そして観客である我々とも変わるところのない「人間」である。彼が他の人間より優れている点があったとすれば、それは「覚悟」をしていたことだろう。すべての人びとの罪を背負って十字架にかけられるという覚悟である。少なくともこの映画で描かれている限りにおいては、それ以外に彼と他の人々を区別するところはない。

しかも、その覚悟とて最初から自らの内にあったわけではない。映画の冒頭、自らの運命を悟ったイエスは、激しく動揺し、「神よ、なぜこのような試練をお与えになるのですか」と悲嘆にくれている。

しかし、ひとたび運命を受け入れる覚悟を決めた彼は、逃げ隠れもせず、抵抗もせず、厳しい拷問にも耐え抜き、従容として死への旅路につく。まさにこれこそが彼の覚悟の堅さのほどを物語っているのだ。このことを考えると、映画公開当時に話題になった残虐な拷問シーンも、彼のその覚悟(信仰と言い換えたほうが分かりやすいだろうか)を表現するのに必要不可欠なものだったと言えよう。

そして、そんな彼、イエスの姿を目の当たりにして、同じように内なる信念を持つにいたった人々がいる。それは例えば、事の一部始終を最後まで取り乱さずに見つめ続ける母・マリア、またゴルゴタの丘まで、イエスに代わって十字架を担いだ男、またイエスと共に磔刑にされた男2人の片割れであったりするわけだ。

彼らもまた、命をかけても訴えるべきことがあるということに気付いた瞬間、それまでとは違う人間になれたのである。気付くことさえできればそれでよい。それがいつであっても、決して遅すぎることはない。たとえ罪を犯した後であっても、気付くことさえできれば赦されるのだ。

本作が反ユダヤ主義だという批判もあるが、よく見れば、この映画のメッセージが「相手を赦すこと」であるということに気付くはずである。

自分が信じていて、他人にも信じてほしいことがある。それを無理矢理力で信じ込ませるのではなく、自らの行いによって信じてもらうこと。これこそがイエスの覚悟であり、信仰であったのだ。

そして、自分が信じているもののために30億もの私財をつぎ込めるメル・ギブソンにも敬意を払いたい。もっとも、全世界でこれだけヒットすれば、30億程度は軽々と回収できただろうが。

(評価:★5)

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