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[コメント] 日本沈没(2006/日)

オリジナルより格段に目線を下げ“普通の人々”の営みと自覚とを描いた驚異的傑作。おしなべて観客は、少なくとも我々日本人は、この映画を単なる「特撮映画」「ディザスタームービー」以上の視点をもって捉えねばならぬ。誰が何と言おうと自分はこのリメイクを断固支持する。[楽天地シネマズ錦糸町3/SRD]
Yasu

**ネタバレ注意**
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正直に言うと、1973年製作のオリジナルはあまり気に入ってはいない。丹波哲郎扮する総理が超人的な活躍をする一方で、一般の人々の「顔」はほとんど見えてこず、どこか他人事のような印象が拭えなかったのだ。

しかし今回の2006年版では、小野寺、玲子、鷹森大臣そして田所博士に加えて、もんじゃ焼き屋「ひょっとこ」の人々がストーリーの中で重要な位置を担っているために、ぐっと感情移入がしやすくなった。ささやかな幸せを享受していた、ごく普通の大衆である彼らが一転して避難民となり、厳しく悲惨な道をたどることになる。もしも日本が本当に沈むということがあれば、疲れた足を引きずって、火山灰にまみれ落石に脅えながら、どこまで続くとも知れないあの山道をとぼとぼ歩いているのは、あるいは自分の友人であり、家族であり、恋人であるかもしれないのである。もしそうなったら、あなた指をくわえて見ていられますか。

一方で、本作では彼ら大衆を救おうとするのも、また大衆である。政府ではない。「日本が沈む、われわれの行く場所がなくなる」という未曾有の事態に直面して、主人公たちはひとりひとりが自分の為すべきことを理解し、従容としてその任に就いた。ハイパーレスキュー隊員として活動していた玲子のみならず、小野寺もまた自らの立場を悟り、その能力をあるべき方向へと向けるのである。いや、小野寺や玲子だけではない。一見無力に思える「ひょっとこ」の人々自身でさえ、お互いに助け合い、励ましあっている。避難途中で路盤が崩壊した時も、自分自身にも命の危険が迫っているにも関わらず、リヤカーごと転落しかけた美咲を(文字通り)懸命に助ける。当たり前のことのようにも感じられるだろうが、それを当たり前にやってこそ説得力があるのだ。それは、小野寺・玲子と同じ「自分の立場からできる限りのことをする」ということに他ならない。

「彼らを助けるのは政府ではない」とはいっても、もちろん政府関係者は登場してくる。登場してはくるものの、主人公的な扱いはまったくされていない。早々に消えてしまう総理、悪役になっている官房長官、D計画を批判しておいていざとなると真っ先に逃げる財務大臣(だっけか?)などなど。鷹森大臣は確かに事実上の政府トップとして獅子奮迅の働きをするが、結局は小野寺らがいなければこの国難を救いえなかったことは、最後の演説で彼女自らが認めているところである(もっとも、彼女──小野寺らもそうだが──が、盟友である田所博士を最後まで信頼し続けたことは、この物語の重要な鍵として評価しておかねばなるまい)。

小野寺は結果的に日本を救った。だがそれは「愛国心」のような大局的な、しかし曖昧な考えではなく、単純に「愛する人たちを助けたい」という思いに基づくものだった。それでいいではないか。その思いが小野寺の分そして玲子の分、ひとり分ふたり分と積もり重なって、最後にはこの国の人々を救うという大きな力になるのだから。

政府にモノの如く避難させられたり、単に無責任に逃げ惑ったりするだけでなく、我々一般大衆が個々の立場と責任とを自覚して、自らできる範囲で最善を尽くすこと。本作にはそういった前向きな意志が込められているといえる。「敢えて悲観的なトーンを打ち出した原作者小松左京の意図を改変した」との批判もあろうが、そんな向きには「人類が生存への微かな希望に賭ける『復活の日』という作品も小松氏は書いている」と言っておこう。別作品なので詳細には言及しないが、本作で小野寺が「帰還できない」と分かっていながらわだつみ2000に乗り込むシーンなどは、この『復活の日』のことを思い起こして胸が熱くなったものである。

もっともこの映画、確かに100%完成されているというわけではない。プロットに不自然な箇所はあるし(死ににゆくと決めているんだったら「抱いて」と言われて断るなよ)、演出も決まってはいない(田所博士のパンチ一発でPCが煙を吹くって…)。また明らかな不注意と思われるところや(阿蘇山の噴火で熊本が壊滅したのに、市街より阿蘇に近い熊本空港は生きている!)、肝心の特撮自体にもおかしな点が見受けられ(上空から俯瞰した沈没中の日本列島のノッペリぶり、まるで焦げた地図から煙が出ているみたいです)、これらの詰めの甘さに若干鼻白むのは、残念ながら事実である(余談ながら、「日本海溝に潜ろうとするわだつみ2000が沈んだ街を通り抜けていくのはおかしい」という指摘があるようだが、そもそも日本列島がプレートの動きによって海溝側へ引きずり込まれて沈んでいっているわけだから、海溝へ向かう途中の浅海に街の廃墟があったとしても取り立てて不思議ということはないだろう)。

それでも、そういった欠点を補って余りある力強さが本作に満ち満ちていることははっきりと感じたし、そもそも「愛する人たちを助けたい」という純粋さを誰も否定することはできないはずだ。特撮シーンがメインになっていないことに不満を抱いている観客の気持ちも分からないではないが、しかしそもそも特撮とは、描くべき対象を際立たせるためのものであり、逆に言えばドラマあってこその特撮なのである。特撮ファンの反発を覚悟で敢えて極論するならば、もしもその特撮を使わなかったとしても立派に成立するだけの内容を、この映画は備えていると断言してよい。

果たして樋口真嗣監督が最初から意図していたかどうかは知らぬが、原作や1973年版の時代に比べて人間関係の稀薄さや社会性の低下が叫ばれる今、本作は図らずも志の高いリメイクになったとつくづく思うのである。そして、1973年版の虜になった樋口監督が本作を作り上げたように、願わくばこの作品に心を動かされた将来の映画人たちによって、また彼ら自身の『日本沈没』が生み出されんことを。

(評価:★5)

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