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crossageさんのコメント: 点数順

★5アイズ ワイド シャット(1999/米)現実でも夫婦関係にある二人を映画でも夫婦役として起用。完全主義のキューブリックが今までにこんなことをしたか? [review][投票(16)]
★5エイリアン(1979/米)リプリーVSエイリアン、あるいは俺VSゴキブリ。 [review][投票(13)]
★5レザボア・ドッグス(1992/米)この映画を最初に"cool"と形容したのは誰だ。これは"cool"なだけじゃない。"cool"と"hot"の過激な温度差が産んだ、タランティーノ流「スタイリッシュ」の極致が、ここにはある。 [review][投票(13)]
★5生きる(1952/日)遠近法と座ること、またはこの映画が黒澤作品のなかで数少ない「名作」たりえていることを証明するメチャクチャ長い超独りよがり唯物的批評→ [review][投票(11)]
★5チャーリーズ・エンジェル(2000/米)俺 VS チャーリーズ・エンジェル。 [review][投票(11)]
★5顔(1999/日)よく運動すること。よく吐くこと。よく生きること。 [review][投票(11)]
★5羅生門(1950/日)荒唐無稽のリアリズム。 [review][投票(11)]
★5動くな、死ね、甦れ!(1989/露)日常の延長としての活劇、現実の持続としての映画。エレジーとラプソディの同居する不思議な空間。 [review][投票(10)]
★5ストレンジャー・ザン・パラダイス(1984/独=米)切り返しナシ固定カメラによるダウナーボンクラ観察記。彼らは下らない理由で喧嘩してはすぐ忘れる。小金がありゃ競馬につぎこむ。寒けりゃ暖かい所へ行く。何気にお洒落には気を使ってる。そしてフレームを介して彼らと会話してる俺がいる。究極の切り返し。[投票(7)]
★5CURE/キュア(1997/日)誰でもない、空虚な穴としての「魂の伝道師」。癒し(CURE)は、そこからもたらされる。 [review][投票(7)]
★5台風クラブ(1984/日)見るアホウから踊るアホウへの跳躍=「あっち側」へのジャンプ。体育館における「踊るアホウと見るアホウの葛藤劇」はMY映画人生5本の指に入るフェイバリット・ショット。 [review][投票(6)]
★5チャーリーズ・エンジェル フルスロットル(2003/米)過去を想起せず、未来へ思いを馳せることもない、一瞬にかがやき明滅するかけがえのない現在。または今作も同じ「3人」がエンジェルをつとめた理由、らしきもの→ [review][投票(5)]
★5魂のジュリエッタ(1965/仏=伊)艶やかに美しく、滑稽な喧騒に満ちた色トリドリの奇形的な世界が、そこにしっかりと屹立する白黒のコントラスト劇によって、祝祭的空間として際立たせられる。 [review][投票(5)]
★5セブン(1995/米)空虚の暴力、表象の暴力。 [review][投票(5)]
★5バック・トゥ・ザ・フューチャー(1985/米)「初めて見たときの感動と興奮をもう一度味わうため、15年前にタイムスリップして、少年時代の自分にこの映画を見させないよう過去を操作してやりたい。」 [review][投票(4)]
★5ザ・コミットメンツ(1991/アイルランド)土臭い南部音楽とズブロッカを愛する「ど」ブルースマンでも「ボーイ・ミーツ・ガール」なバンドライフをエンジョイできると勘違いさせた罪深い青春映画。泣かいでか![投票(4)]
★5ブルーベルベット(1986/米)光と闇、正常と倒錯が引き比べられることもなく等置され単に投げ出されているだけの、デヴィッド・リンチという中心すら曖昧な空間。奇妙なサバービアンたち。そしてしかし、世界はかくも美しい![投票(4)]
★5惑星ソラリス(1972/露)僕の21世紀はこの映画で始まった。自己の内面(内部)と人智を超える他者(外部)を分かつ分断線を越えることは果たして不可能なのか。人間(人類)の真の「夢」を圧倒的なイメージ美で描いた20世紀の至宝の一つ。[投票(4)]
★520世紀ノスタルジア(1997/日)川辺で杏と手を取りあう父親、別の時間にそこに居合わせた母親。カメラを持つ杏を介して、離散した家族を擬似的に再会させたモンタージュ。映画が可能にしたもの、映画にしか出来ないこと、20世紀が残した素敵な遺産。その夢と共に私たちは地球で生き続ける。[投票(3)]
★5ミニー&モスコウィッツ(1971/米)コトバで伝えきれないエモーションがフレームに充溢し、行きどころのないパッションに形を与えるべく衝動的に髭を切る。感極まった観客たちがざわめく。ウオー!事件だ!映画だ![投票(3)]