[コメント] CURE/キュア(1997/日)
誰でもない、空虚な穴としての「魂の伝道師」。癒し(CURE)は、そこからもたらされる。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
出会う人々に「お前は誰だ?」と執拗に問い続け、自覚せざる殺人欲求に目覚めさせる記憶喪失の青年間宮萩原聖人は、殺人教唆を目的としたサイコなのでは決してなく、社会性から逸脱した地点にある(というか、逸脱した地点にしかありえないはずの)自己を実現させるために現れた「魂の伝道師」なのである。彼に魂を導かれることによって、人々は癒し(CURE)を得ることができるのだ。これはブームとしての「癒し」や「自分探し」への悪意ある挑発でもある。
現代思想や精神分析プロパーあたりの食指を動かすディティールも心憎いところ(首元につけられたバッテンと、主体Sにつけられた×印(ラカン)の対比)。ラカンといえば、そもそもこの映画の製作プロジェクト発動の契機ともなった『セブン』もまた多分にラカン的作品ではなかったか?
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (7 人) | [*] [*] [*] [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。