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[コメント] キサラギ(2007/日)

もしも蛇足が蛇足じゃなかったとしたら。
ミドリ公園

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ラストが蛇足だという多くの方々の意見には、全く同感。しかしラストシーンといっても二種類ある。

(1)如月ミキが素顔をさらすシーン

(2)一年後、宍戸錠が壇上で「真相は・・・」と語り始めるシーン

どちらも、それ以前のストーリーを「なんちゃってー!」と覆してしまうという意味では同じなんだけど、二つはその意味合いが大きく違う。

(1)は、5人の男たちが真剣にぶつかり合い、自らのプライバシーをさらけ出してまで守ろうとした「我らがアイドル」が、所詮「C級アイドル」であったという「なんちゃってー!」だ。これに関しては、見せないで欲しかった、いや、見せるのもアリだろう、と意見が分かれるが、私自身はアリだったと思っている。

問題は(2)の方で、これがひっくり返そうとしているのは「映画すべて」なのだから始末が悪い。

このシーンを蛇足だと片付けるのは簡単なのだけれど、あえて「蛇足じゃない」と考えてみる。そうすると、5人の男たちがさらけ出したプライバシーおよび自殺が事故だったという結論がすべて「なんちゃってー!」でなければならなくなる。

つまりこういうことだ。彼らはみな「筋金入りの如月ミキオタク」であることに間違いはないが、それぞれが「幼なじみ」だったり「友達」だったり「元マネージャー」だったり「実の父親」だったりというのはまったくの嘘で、本当はみんな「虫けら」である・・・。

これは一見、無茶な仮定だ。しかしたとえばこのオフ会が、オンの議論をそっくり再現したものだとしたら。つまり、彼らはあらかじめ、ネット上で如月ミキ自殺の真相について議論を戦わせており、その議論が白熱し、売り言葉に買い言葉であらぬ妄想が肥大化した末、様々な伏線がつながって行く快感に皆が酔いしれ、

「それじゃあ如月ミキの命日に集まって、この議論を再現してみませんか・・・もちろん小道具は各自持参の上で」

という段取りで、このオフ会が実現した。

というのはどうだろう。

もちろん映画の中ではそんなこと、一言も語られてない。

ただのこじつけにすぎない仮説ではあるが、宍戸錠が真相を語り始めるとき、身を乗り出して聞いている5人は、みな同じことを考えている。自殺の真相なんてどうだっていい。こうして毎年、彼女のことを語り続けることで、彼女がアイドルとして生き続けることになる、と。

それはオタクの執念だ。つまり、ラストが蛇足であろうとなかろうと、この映画が面白いことにかわりはない。

(評価:★5)

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