[コメント] 電車男(2005/日)
この映画が夢物語であることのあまりの自明性について考え始めると、フィルム表面に刻まれた映像群が十重二十重の多義性を帯びてくるから不思議である。技法陳腐、演出紋切り型といってしまえばそれまでのこの映画だが、意外に侮れない。
この映画の世界では現実以上に、実現可能性の低い事象が易々と起こる。それをありえないとして非難するにしても、ありえないことを映画にしたからこそ賞賛するにしても、見た者がなんらかの判断をした瞬間、映画の世界が液状化し別の相貌を見せる。
液状化した映画が放つ二の矢は「なぜあなたは、そうと感じたのか。本当にこの映画はそれだけか」という問いである。問いに対する答えを、映画の中に探しても見つからない。判断した自分の底の浅さだけがなぜか不断に問われているような居心地の悪さを感じるのだ。この居心地の悪さこそ、この映画特有の、この映画しか成しえない、複雑な迷路へのチャンネルであって、こうした世界を蔵する点で、この映画はきちんと賞賛されねばならない。
ある作品がリアルであるとか、リアルでないとか、いつまで映画にレッテル貼って安心しているのだという主張が、腹の下に匕首を突きつけてくるような痛覚と共に聞こえてくる。爬虫類のようなぬめぬめとした実在感をこの映画は持っている。
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