[コメント] ダークナイト(2008/米)
ハリウッド大作の最良の成果だ。一貫した企画の元に、脚本や演出やキャラクタリゼーションが総結集している。細部を大胆に切り取り、押し付けがましさも無い。何度も変奏されて登場する悪夢のような究極の選択ゲームには終始目のくらむ思いをするはずだ。
バットマンとジョーカーは帯びている極性こそ違うが同類のアウトローとして描かれる。これもすごいことだが、ここまでなら勧善懲悪のコスプレ映画にとどまる。しかし、善は善のみとしてあるのではなく、光の暗部と明部のように悪とセットでしか存在しない、という形而上学が、登場人物の語る理屈でなく、作品構造そのものとして語られる。それがすなわちジョーカーの提示し続ける選択ゲームの本質である。
ジョーカーは単なる悪ではない。善なる者(と自己規定している者)から悪を引き出す触媒である。ジョーカーの切り出すカードはそれこそトランプのジョーカーのように、一挙に問題を解決することのできる力を持ちつつ、それを使用することにためらいを持たざるを得ないシチュエーションでしか提示されない。彼がそれを使うのではない、一般の人間にそれを使わせることによって彼は夢魔のような悪の伝道師となる。ジャック・ニコルソンとは違う、ヒース・レジャーによるジョーカーの魅力の本質はそこだ。
もしここにバットマンもジョーカーもいないと想像すると、我々がバットマンやジョーカーに代わって、同じ規模ではないにせよ常に善と悪の極性を交互にあるいは同時に持ちつつ、日常生活や国内政治や外交を営んでいるのだという社会の本質まで一挙に透き見できる。映画が本当に言いたいのはまさにここだ。バットマンもジョーカーもいないもっと過酷な現実の中に我々は生きている。
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