コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 元禄忠臣蔵・後編(1942/日)

溝口は忠臣蔵を私怨の劇として撮ろうとしたのではなかった。公的な場における公的な儀式の主宰者として赤穂の侍達を撮ろうとした。そのために溝口マジックがどのように発動するか。我々は、中庭と屋根上と廊下に着目しなければならない。
ジェリー

溝口は、人を派手に動かす代わりにキャメラをパンやクレーンで動かし、俳優達の動きを極力抑制することで様式性を担保する。と同時に、長回しに耐えられる広い空間がそこに存在することで、我々はこのドラマが障子の内側の狭い日本間で展開される狭い私的なドラマではなく、広く誰もが見るべき公明正大な天下の劇が行われていることの公式性(例えは変だが国会中継を見ているような)を感得するという仕掛けになっている。(ちなみに内面をほじりだすツールとしてのズーミングは一切用いられない。公式の劇に内面は不要だからだ)

城や武家屋敷における公式性獲得のために多用されたのが廊下と中庭である。中庭にキャメラが据えられ、そこを中心に廊下をパンしながら廊下で繰り広げられるドラマを長々と撮る。時折、屋根上に昇ったキャメラが俯瞰で複雑な武家屋敷を一望のもとに捉え、適切な距離感のもと人の表情まで映すことなく、動きのみで人を捉え、公式の劇のもとでの人の感情の機微を行間の中に語らせるという仕掛けである。

真山作品原作らしい重厚な台詞を奔流のように吐いていく俳優達の名演により、居住まいを正されるような時代劇らしい重厚感を我々は堪能できる。傑作。

(評価:★5)

投票

このコメントを気に入った人達 (3 人)死ぬまでシネマ[*] [*] ぽんしゅう[*]

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。