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[コメント] 旗本退屈男 謎の暗殺隊(1960/日)

市川右太衛門以外の俳優は殆ど人格を奪われたドラマの操り人形。その御大とて、退屈男というイデアの翳である。映像をきらびやかにするためにあらゆる映画のファクターが映像の名の下に従属するいびつな構造。その美的構造の核心をなす「二重丸」の構図。
ジェリー

 とにかく、ファーストショットの揺れる水面のシーンから観客の眼差しは画面に釘付けになることを請合う。水面に映る江戸城の石組と白い漆喰壁の象がにわかに寄れ動き出すと、キャメラはティルトアップして、城壁を手前に収め、さらに城壁を越えて遠くの江戸城天守閣を射程に入れる。下からの照り返しの月光により江戸城は闇夜にほの白く中空に浮かんでいるようにも見える。次に、中庭と思しき無人の江戸城本丸内が写される。中庭に面する大廊下の片隅に行灯がひとつ光源として設定されているが、中庭には月光も射し込み夜ながら見晴らしは良い。しかしここでも動きの早い黒雲が月光をさえぎり中庭の視野がたちまち暗がりの中に沈んでいく。静から動へ、安定から不安定へ、こうした動きがソナタ形式のように繰り返されると、将軍家の寝所の怪異な出来事が始まる。人が登場するのはこのシーンにおいて初めてである‥‥この冒頭1分にも満たないショットの連続はなかなかのものである。

 構図が美しいというより、光と影のたゆたいが美しい。明滅が美しい。モノクロ撮影であればこのシーンはもっと美しかったかもしれないと思われる。こうしたシーンの連続がラストまで連なればこの時代劇は一級の作品となったであろう。

 しかし、この映画は次第に光と影の戯れ合いとしての美しさから、構図の美しさへと様態を変えていく。ストーリーテリングの工夫としてこの映画は実に殺陣のシーンが多い。この殺陣の工夫が見ものである。今回の殺陣の特徴は忍者と早乙女主水之介の戦いであることだ。忍者は、敵と同じ高さで戦わない、また、1対1の戦いも選ばない。常に高所から主水之介と従者たちを円環状に取り巻いて、圧倒的な数的優位の元で主水之介を倒そうとする。ここに生まれる、主水之介と従者たちの成す小さな円と、敵の忍者がぐるりと取り囲むことで成る大きな円との同心円構造がスクリーンいっぱいに広がる。この美しさにラストまで魅せられる仕掛けである。

 この映画のラストに表れる機械仕掛けのような律儀さで、ストーリー、人物がすべて主人公を中心に置く同心円の構図に収斂していく、あらゆる映画のファクターの上に君臨するいびつな運動の軌跡を満喫することこそ映画を見る醍醐味だと言い切ってしまいたい。

 ところで、光と影の美しさはどこへ行ったのか。実はあられもない場所で、松田定次の映像センスが馬脚を現す瞬間がある。早乙女主水之介が忍者一党に父親を殺された娘(丘さとみ演じる)といっしょに森の中を歩き回るシーンがある。ここでカットごとに光の調子が狂うのである。ロケ撮影とセット撮影が複雑につながるこのシーンの光の調子のばらつき具合のひどさは眼に余る。明らかに冒頭の出来はフロックであった。

 とまれ、市川右太衛門の芸風に相応しいアンチリアルの展開は、かなり大仰ではあるが意表を衝く。テレビ時代劇では決して味わえない豪壮なたてつけと動きはやはり映画の名に値する。弥生という娘を演じる大川恵子が、庶民的な丘さとみと対照的な匂うような武家娘を演じており、この予想外の出来栄えもここに記しておくことにしよう 

(評価:★4)

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