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[コメント] 新しき土(1937/日=独)

伊丹版とファンク版あるようだが、ファンク版で見た。ファンクは山岳撮影の権威らしく、山のシーンが実に面白くストーリー展開には邪魔なくらい執拗に続く。しかし実は、
ジェリー

**ネタバレ注意**
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この執拗な描写が実はテーマに根っこから絡んでいて、欧米と異なる「揺れる」日本の大地を原節子すなわち女性の比喩として捉え、そこに偏見でしかないミソジニー(女性蔑視)を投影しているという図式が見えて仕方がない。なんともナチズム的かつ天皇を家父長とする国家=一家族的歴史観が浮かび上がる。登場人物の一人早川雪洲は台詞の中でそれに近いことをはっきりといっている。山=女性の大いなる懐の中で、裸足で歩く男小杉勇が足をやけどするのも、ファンクの未成熟な女性恐怖というか、もっとはっきり言えば女性による男性呪縛の恐怖を、映像によって象徴表現したようにしか見えない。ストーリー上は男が女を助けに行くので表面的には正反対なのだが。多分、小杉勇がもっとヒロイックな二枚目であれば、見え方が変わったかもしれない。(実はちょっとオウムの教祖に見える)なんにもせよ実に奇態な映画だ。伝統回帰を謳いたかった映画なのだろうと思うが、私にはそうは見えなかったのだ。

しかし、確かに風景描写の美しさはちょっと比類ない。日本を見る見方がやはり日本人的ではない。グロテスクなくらいエキゾチックで、その視線は、フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルにも(余談ですが有頂天ホテルのロビーはこの旧帝国ホテルロビーを模していないか)、当時猖獗(しょうけつ)を極めた銀座のカフェの描写にも、箸という道具にも、寺社の風景描写にも及ぶ。あれは或る意味外国人が見たまま、捉えたままの印象をそのまま見せてくれているような気がしておもしろい。

要は、誰からも珍しがられる一方で誰からも受け入れられないかもしれない変なポジショニングをこの映画は持っている。

この映画に出てくるゲルダという女性は、原節子から見た場合恋敵に映るような設定で登場するが、小杉勇がドイツから帰国したという役柄になっている以上当然のことながらドイツ人となっている。しかし、伊丹版は、女性をイギリス人として名前も変えて設定しているそうだ。すると全く違った位置づけになるはずだ。伊丹版とファンク版はそれぞれ独立して映画登録すべきではないかと思う。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)りかちゅ[*]

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