巴さんのコメント: 更新順
アフター・アワーズ(1985/米) | 脂が乗りきった、まさにキレキレ時代のスコセッシ。現実と隣り合わせにあるトワイライトゾーンに迷い込む男の悲喜劇は、キューブリック『アイズ・ワイド・シャット』に影響を与えた事は間違いなし。とにかくもう、この当時の作品に比べたら『アビエイター』なんてクソ以下ですから。 | [投票(1)] | |
クイズ・ショウ(1994/米) | 少し安直とも思えるTVメディア批判やWASP思想には、いかにもアングロサクソン的な凡庸さを感じてしまう。が、地味ながらも丁寧に人間ドラマへと昇華していく演出力は秀逸。「いい奴だけどおもしろくない人」ロバート・レッドフォード監督の最高傑作では? | [投票] | |
カメレオンマン(1983/米) | トカゲのおっさん(『ごっつええ感じ』)が繰り広げる奇々怪々なメタモルフォーゼ。でも実は、脆弱な「自意識」をごまかすための、その場しのぎの隠れ蓑。そんな現代人の病を嘲笑うウディ・アレンの黒いユーモアが止まらない、悪ノリ全開の風刺映画。 | [投票] | |
イナゴの日(1975/米) | 虚飾にまみれた「ハリウッド」のスポットライトの下に群がる愚衆どもをブラックに笑い飛ばすシュレシンジャー。70年代のアメリカン・ニューシネマとパニックムービーの見事な到達点はアルトマン級。特にラストの地獄絵図は圧巻で、タイトルの意味に気付いた時にニヤリ。 | [投票(2)] | |
キング・オブ・コメディ(1983/米) | 「ドン底で終わるより一夜の王になりたい」と願ったパプキンの凶器は狂った正気。誰よりも「夢」を見て、誰よりも「理想」を追い求めたからこそ、誰よりも「現実」とずれていく。笑えないほど滑稽で、笑うしかないほど悲惨な、イタ過ぎるマスターピース・オブ・マスターベーション。絶頂スコセッシ。 | [投票(1)] | |
バベル(2006/仏=米=メキシコ) | 「世界の出来事を私の意志によって左右するのは不可能であり、私は完全に無力である」(哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン) [review] | [投票(2)] | |
天国は待ってくれる(1943/米) | 時代が変わっても決して変わらない男と女の心を、凄まじく洗練された手つきで華麗に描いていくルビッチ。古臭いどころか、ユーモアとウィットに溢れ、軽やかで洒脱。まだハリウッドが「夢の工場」と呼ばれていた幸福な時代の象徴として、今も優しい輝きを放っている。しかし男って・・・バカ。 | [投票] | |
ホリデイ(2006/米) | 『ユー・ガット・メール』のようなメグ・ライアン系90's恋愛映画に通ずる"ぬるま湯"感。『ラブソングができるまで』みたいなお恥ずかしいくらいの出来過ぎな展開。にもかかわらず、意外にも、悔しいけど、日々の生活に疲れた心に染みるのです。そしてやっぱりキャワいいキャメロン・ディアス!に久しぶりにメロメロ。 | [投票] | |
汚れた血(1986/仏) | 一瞬にして破滅的な片思いに突入していくアレックスの頑なな愛の姿に、繊細で力強いカラックスの諦念を見い出し、不覚にも涙する。画面から放たれる原色の 、恋の閃光に撃たれろ。 | [投票(1)] | |
25時(2002/米) | 黒人映画でもなく、非黒人映画ですらない、「アメリカ映画」としか言い様がないスパイク・リーの真骨頂。政治性は多少薄くなったと感じたが、そもそも「作家性」とは、政治的なメッセージではなく、技術に宿るものなのだ。演出力、編集、映像、ストーリーテリンング、そのすべてがファーストクラス。 | [投票] | |
ラルジャン(1983/スイス=仏) | 偽札は、トランプのジョーカーのように人を伝い、最後に手にした者に世界の不条理を喰らわせる。そこに人の意志が入り込む余地は一切ない―その「世界の原理」を映し捕らえるこそが「映画の原理」である、とブレッソンが最後に語ったように思えた。無情の世界、映画の臨界点、その名は『ラルジャン』。 | [投票(4)] | |
乱れ雲(1967/日) | そもそも愛し合ってはいけない男と女の、身を焦がすどころか、焼き付くしてしまわんばかりの恋狂い。そこに楔を打ち込み、「信じれば願いは叶う」などという幻想を断ち切る残酷。生粋の運命論者、静かなる革命家、成瀬の悲恋映画。当然のように傑作。 | [投票(5)] | |
PiCNiC(1995/日) | 詩人というのは、「美しい」と思われた現実よりも更に「美しい詩」を作ってしまうものだが、まさにそういう意味において、岩井俊二は(良い意味でも悪い意味でも)詩人なのだと思う。 [review] | [投票] | |
ガルシアの首(1974/米) | このウォーレン・オーツには、「男のロマン」とか「男の美学」といった手垢のついた花束が手向けられる必要はない。彼(男)はそこでただ、生まれた時からそうであったように、愚かで哀れで不幸で悲しく汚れているだけ。渋谷シネマライズでのリバイバル上映時のコピーはこうだ。「この映画を見ずして暴力を語るなかれ。この映画を見ずして愛を語るなかれ」。まったくその通りだ。 | [投票] | |
デス・プルーフ in グラインドハウス(2007/米) | 「男と女と車が1台あれば映画はできる」と言ったのはゴダール先生だが、あのお子ちゃまタランティーノがこれ程凄まじい「映画」を作るとは。人間を男女不平等に徹底してマゾヒスティックに追い詰めていく、時速300キロ超のスリル。もはや単なるB級映画オタクとは呼ばせない、これは「趣味」ではなく「思想」なのだ。 | [投票(3)] | |
ファイブ・イージー・ピーセス(1970/米) | クソしょうもない仕事、クソ鬱陶しい女、クソさえない人生、そのすべてから逃げて逃げて逃げ続ける男。権力、道徳、常識に縛られるくらいなら、酒と女に溺れて破滅を選ぶ男。ジャック・ニコルソンは本当にファッキン・グレイトな、悲しきアンチ・ヒーロー・・・。 | [投票(1)] | |
ゼイリブ(1988/米) | ≪ジョン・カーペンター≫は使用・用法上の注意を良く読んでからお使いください [review] | [投票(1)] | |
清作の妻(1965/日) | 今観てもまったく古びていない旧共同体批判、ムラ社会に核弾頭を撃ち込む恋人たちの革命。日本的「馴れ合い」よりも愛という名の「孤立」を。そして「本当のめくらは誰か?」と問いかけるウルトラ個人主義者=モダニスト増村保造入魂の最狂傑作。 | [投票(3)] | |
アマロ神父の罪(2002/メキシコ) | 題名だけだと「聖職者を描いたぬる〜い文芸映画」のようだが、実際は違う。エリート青年神父の「性欲」が「聖欲」を凌駕し、更に「性欲」は教会という「組織の論理」の前にひれ伏す。アマロが使えていたのは「神」でも「少女アメリア(愛)」でもない、最っ初から「組織」でしかない。 | [投票] | |
ひかりのまち(1999/英) | 楽しげなアトラクションが揃った夜の遊園地、両手はパパとママの手を握っている。でも、今、この瞬間、この場所でも、自分だけが地球上でたった1人取り残されていると感じてしまう、そんな本能的な寂しさ。だから、人はぬくもりを求め、誰かを探しさ迷い続ける。そんな世界のことを『ひかりのまち』と呼ぶのだろう。 | [投票] |