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[コメント] インディアン・ランナー(1991/米)

人生と映画を受け入れるために

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







3歳までの記憶は捏造された記憶である…。確か、ある哲学者がそんなことを言っていた。その捏造された記憶は、あなたの父の記憶かもしれないし、あなたの母の記憶かもしれないし、あなたの兄の、そしてあなたの弟の記憶かもしれない、と。

3歳のときぐらいの記憶なんてあるわけない、とあなたは言うだろう。けど、‘三つ子の魂、百まで’ではないが、あなたが覚えていないにもかかわらず、その時あなたは「何か」を見ていたはずで、その「何か」が今のあなたに大きな影響を与えている。その「何か」のひとつが、父であり、母であり、兄であり、姉であり、妹であり、弟であり、「家族」の姿なのだ。

ジョー(デビッド・モース)とフランク(ビゴ・モーテンセン)は互いの姿を見て育った。しかし、2人はあまりにも違いすぎた。両親の扱いが違ったからか、フランクはベトナム戦争に行ったからか…。おそらくそうであり、そうではない。フランクはジョーが見なかった「何か」を見、ジョーはフランクが見なかった「何か」を見たのだ。その「何か」が、兄貴と弟を全くの「他者」に育ててしまった。だけど、今さら人生を後戻りすることはできないし、人生は一度きりで十分だ。ただ、一直線に延びる暗闇のハイウェイを進んでいくことしか、僕らにはできない。

雲が雨を作り雨が雲を作るように、環境は人を作り人は環境を作る、斯く言わば弁証法的に統一された事実に、世の所謂宿命の真の意味があるとすれば、血球と共に循(めぐ)る一真実とはその人の宿命の異名に過ぎぬ。 (小林秀雄「様々なる意匠」)

ジョーには子どもがいた。フランクにも子どもが生まれた。おそらく、その2人の子どもたちは、ジョーとフランクのように、互いを見つめ合いながら成長していくのだろう。そして、ジョーとフランクのように、全くの「他者」に育つのだろう。同じように…宿命として。

人生は同じことの繰り返しだ。しかし、その繰り返しを怖れ拒絶する(シニシズム!)か、それとも微笑みながら受け入れる(ユーモア!)か、それはあなた次第だ。いや、あなたが見た「何か」次第だ。そして、その「何か」を受け入れていくことが人生であり、映画なのだ。

Vale!!!

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)けにろん[*] たかひこ ALPACA[*]

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