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[コメント] 花よりもなほ(2005/日)

最後の笑顔。その訳を……

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







改めて是枝裕和のフィルモグラフィを思い返してみると、そこにはすべて「死」が主題となっていたことに気づく。デビュー作である『幻の光』では何の前触れもなく夫が自殺してしまった女を、『ワンダフルライフ』では「死」後の世界を、『ディスタンス』ではカルト教団が起こした無差別殺人事件の加害者の遺族たちの「その後」を、そして前作『誰も知らない』では母に取り残された兄妹たちに起こる妹の死を描いてきた・・・。で、『花よりもなほ』なのだが、その主題は父を殺された武士=もののふ・宗左衛門の仇討ち、という時代劇の王道であり、つまり今回もテーマは「死」なのだ。

そもそも「武士道とは死ぬ事と見つけたり」(『葉隠』)というぐらいだから、「時代劇と死」はこれ以上ないくらいの「相性が良いテーマ」といえる(ちなみに是枝監督の大学の卒論テーマは時代劇の脚本論だったという)。

しかし、これまでの是枝映画と“花なほ”が決定的に違ったのは、宗左衛門(岡田准一)が仇討ちを実行し「武士もののふ」として美しく散る=死ぬよりも、一人の、ただの人間として生きることを選んだ、ということだ。おさえ(宮沢りえ)はその生き方を「クソを餅に変えたのよ!」と言う。活き活きとしてはいるものの、長屋の生活は決して美しいものとは言えず、むしろ薄汚い。クソまみれだ。是枝監督は、そのクソまみれの中でも、いやだからこそ、光輝く「生」があると語っているかのようだ。「桜が散るのは来年も咲くのを知っているから」という“花なほ”を象徴する言葉は、どんなに貧乏でも、どんなに見っともなくてもいいから、「とりあえず生きてみればいいじゃん」という、とてもゆるやかなメッセージに聞こえる。

最後の、最後の場面。仇討ち相手の子供が宗左衛門の長屋の寺子屋へやって来る。ここで宗左衛門の笑顔が映しだされ、そして映画は終わる。もちろん、その最後の笑顔の訳を、ぼくらはもう知っている。

(評価:★3)

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