コメンテータ
ランキング
HELP

[コメント] 六月の勝利の歌を忘れない(2002/日)

このチームの本質が見えない。この映像の結果としてW杯の勝利があったとは実感できない。
torinoshield

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







試合と試合の間の練習の更に練習以外の会話だけに焦点を絞った編集なのでやはり物足りなさが残る。これは2002代表の軌跡をある程度知っている人でないと楽しめないだろう。

トルシエは選手として大成していない。その反動からか必要以上に戦術的にも対人的にも仕切りまくった。中田英、小野、中村などより鈴木隆、明神、戸田が恐らく好きだったのは自分の選手時代と重ね合わせられるからだろうか?サポーターがトルシエを圧倒的に支持したのはサポーター自身が代表選手(当然最高峰の玄人)を仕切っているような錯覚になったからではないのか。

トルシエが去ってしばらく経つのに日本の多くのサッカー批判の評価ポイントが以下の項目である。曰く「ラインの高さ」「プレスが掛かっているのか」「(戦術の持ち駒である)選手は頻繁に交代しているか」「個人の才能よりも戦術理解度」「守備とは相手のスペースを潰す事」「高い位置からのインターセプト後は相手の守備が整わないうちに攻撃」「FWは得点よりもプレス守備とMFが上がれる為のくさび役が重要」等々・・・。

たまたま黒船で到来した異国人が本場でも異端視されるノウハウを日本に残していったのはかまわない。が、日本人はそれを「世界基準」だと思ってしまった。この日本だけの世界基準に後任のジーコは悩まされることになる。それはジーコのやり方が南米的にはあまりにもノーマル(つまりは世界標準)だったからだ。もしジーコに対する批判が「普通すぎるやり方だから」だと言うのなら理解できるが「古い」「選手起用がおかしい」「ひきこもりのカウンターサッカーだからつまらない」などと言う批判はいかにもトルシエ(という予備校先生)の享受にすっかりわかったつもりになっている高校生的発想だ。

その意味でこの作品は残念だ。2002までの4年間の代表はもっぱらトルシエ色一色であり人々もそれにすっかり染まっていた時代。つまり各選手は駒でありそれを動かしていたトルシエ、それを支持したサポーター、それに反旗を翻して浮いたマスコミ、戦術的にピークだったアジアカップ、その後のフランス、スペインでの現実路線、W杯土壇場での修正・・・こういったものが当時のトルシエ日本の実際の姿だったと思う。

この映像では後々「仲良し集団の楽しい思い出」しか残らない。上記の色々な戦いがあってこそ、という事情を知っている人ならそれも含めて「ああ、全員それなりにがんばってたんだな」と感傷にも浸れるが後々トルシエなど知らない世代が見る事を想定するとあのチームの本質を表しているとは到底思えない。

最後に。試合にモザイクがかかってしまったのもごまかし以外のイメージは沸かない。あれだけやった戦術論戦の詳細説明もその結果としての実際の本番も「ほとんどなし」では文句も言いたくなる。後々これ「だけ」がトルシエ日本として残るのであれば本質を外し過ぎた単なる思い出は評価できない。

(評価:★3)

投票

このコメントを気に入った人達 (0 人)投票はまだありません

コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。