[コメント] アカルイミライ(2002/日)
---(4回目)---
ちゃんと文句付けてあげないと、ダメになっちゃうよ。この監督。ねえねえ。
---(三回目)---
監督は悪くない。これはきっと全て皮肉なんだ。
「カリスマ」と「ニンゲン合格」があまりにも良かったせいで、この映画の受け入れ方に非常に戸惑い続けております。清は悪くない、と思いたいのだけど、案外これが彼の目指した映画の姿なのでしょうか。「大いなる幻影」が吐きそうにひどかったのも、全部美学校の生徒のせいだと思いこんできたのですが、あれも本気なのでしょうか。まあ要はマーケティング映画ではないかという疑惑がどうにも消えないと言うことです。しつこくてすみません。
---(二回目のレビュー)---
言うなれば、私は見事に蚊帳の外。
最初から単館上映が決まっているような映画は、つくるときから、これは新宿の人に見てもらいたい映画だ、とか、これは銀座だとか、考えて作っているんじゃないかといういい加減な想像が許されるならば、これは渋谷なわけですきっと。是枝監督も「ディスタンス」の時渋谷で上映されることを喜んでいましたから、そういうことってあるんだと思います。とくになにやら特定の人種を相手に主張があるような映画の場合は。でもそんなよけいな限定をしていると、すっかり映画はスケールが縮んでしまいます。縮んでいます。渋谷という場所には、レコード屋こそあれ、期待できるような何かなんてありゃしません。20代も後半にさしかかった私にはもはや渋谷に紛れる術はありません。だからこんな映画も、おじさんの幻想の中身はからっぽだった、という感じでしかありませんでした。ここに積極的にコミットすることの意味は、皆無です。
---(一般公開以前のレビュー)---
これが“新しい黒沢清”なのだそうです。宣伝の方曰く。
なぜオダギリジョーが主役でなければならなかったのか。なぜ耳をおおいたくなるような新人バンドの曲をエンディングに使わなければならなかったのか。なぜ衣装は北村道子なのか。“新しい黒沢清”とは何なのか。はたしてこれが黒沢清自身が望んだ映画の姿だったのか。 ハイビジョンとデジタルカメラで撮ってることも全然成功してない。アップになった画面なんて見てられなかった。「デジタルで良かった点は、クラゲの合成が安上がりなのと照明が無くても結構撮れてしまうことでした」って、何か間違えてやしないかい? 音楽にパシフィック231を使えたのが唯一のわがままだった、と、言って欲しい。あれが本心から出来た映画だとは、到底思えんのだ。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (3 人) | [*] [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。