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[コメント] そして父になる(2013/日)

エリートとヤンキー、そして父「である」と父「になる」
蒼井ゆう21

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







 子供の取り違えがテーマだが、その両者の家庭が対照的なのがまた面白かった。福山家は一流企業に勤めるエリート、リリー・フランキー家は小さな電気屋の主人。そして子沢山で妻はタバコをすぱすぱ吸ういわばヤンキー。エリートとヤンキーの子供が入れ替わったということがまず面白い。そしてその違いをさりげなく見せるのもまたうまい(例えば、両者の車が出てくるシーン。これだけで違いがはっきりわかる。あるいはリリーフランキーのストローの先っぽを見る福山。あるいは餃子(だけ)とすきやき)

 「そして父になる」というタイトルは、父「である」という言葉と対照させて考えるとわかるような気がする。「である」とは、既に決定されていて、行動で変化しないという意味がある。それに対して、「になる」とは、決定されていない、行動で変化する、という意味。そして、「血縁関係」の父は、すなわち父「である」こと。それに対して、「育ての親」は、すなわち父「になる」こと。この映画では、結局育ての親を親として選ぶ、だからタイトルが父「になる」ということなのだろう。  そしてさらにいうなら、この「になる」という考え方こそが、格差が固定した身分制社会(「である」の社会)を促進「させない」ことにつながるのではないかと思う。(これは古くは丸山真男の「である」と「する」の話とも似ている気がする。江戸時代の封建制・身分制社会は「である」の社会であった。)。したがって、「エリート」である福山が、「である」思想を捨たことにはまた別の意味があると思う。

(評価:★5)

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