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[コメント] カーサ・エスペランサ 赤ちゃんたちの家(2003/米=メキシコ)

現役の世界3大マイノリティ好き監督と言えば、ジョン・セイルズ、トニー・ガトリフ、ジョン・ウォーターズなんじゃないかと私は思っている。いや、そもそも真にマジョリティな人なんてざらにいるわけじゃないのだけど。
tredair

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







自分の好きな映画を理解してもらえなかったからと言って憤慨するのは実に大人げないことなのかもしれない。それでも私は「彼女たちには共感できない」といった論調でのこの映画に対する酷評を見るたび悲しくなる。なぜならその「彼女たち」の前には、実際は(マイノリティの)というかっこ書きが必要だからだ。

演技派女優が揃い踏みするうえ「赤ちゃん」というダイレクトな言葉までタイトルに掲げたこの映画が、なぜ『彼女を見ればわかること』のような女性映画としてヒットしないのか。

答えはとても簡単だ。これは一見ごくフツーの女たちが主役のようで、でも実際は「どうしても子どもを産むことができない人たち」という「女性という性を担いこの世に生を受けた者」のうちで見れば圧倒的に不利な、そんなマイノリティたちの映画だからだ。

彼女たちには、たとえば「目が見えない」「肌の色が違う」といったようなわかりやすい(あくまでも表層的には、ということだが)困難のポイントや特徴はない。だから、よほどの経験や知識、背景などを持つ者にしかその哀しみをすぐにわかってはもらえないのかもしれない。

映画内でも何人かが集まって、それぞれの不妊治療体験がいかに過酷なものであったかを語りあうシーンがある。私はそのときの彼女たちの(ある意味とても)活き活きとした様子に、よけい切なくなって泣きそうになった。それまでいったいどれだけの人が、彼女たちの苦痛を我がことのように受けとめてくれたのだろう。

「これは目に見える者にしかわからない感覚だろう」といった言葉を公然と口にする人がめったにいないことに対して、いかに「これは子どもを産んだことのある人にしかわからない感覚だろう」という言葉を口にする人が多いことか。「なんで肌の色を変えないの?」といった質問をする人はめったにいなくとも、「どうして子どもを作らないの?」といった質問を気軽にする人の多いことか。彼女たちもきっと、そういった日常的な暴言にさらされ続けていたのだろう。

もくもくと身体を鍛えるスキッパーの心のうちには、自分の身体が完璧ではなかったからなのかもしれないという悔恨の思いもあるのかもしれない。「自分が光になったと思うのよ。」それは逃避や贖罪であると同時に、明日へ向けてのただひたすらな鍛錬であるのかもしれない。

子どもを産めないということを発端に夫から愛想をつかされつつあるジェニファーは、それでも子どもに彼と同じ名をつけたいと言う。そうなのだ、彼女はまだ夫をあきらめたわけではなく、むしろ深く愛しているのだ。彼の子を産めたならどんなにか嬉しかろう。彼女の泣き顔の裏にそんな言葉も潜んでいるような気がしてならないのは、こちらの考えすぎなのだろうか。

すぐに「彼女は親になる資格がないわ」と人を断罪するナンシーは、本当はその言葉を自分に向けてぶつけているだけなのかもしれない。異常な躾をされて育った虚言癖と盗癖のある自分こそが、さんざん不妊治療を重ねても子を産むことのできなかった自分こそが、第三者から「親としてふさわしくない」と断罪されるのではないか。常に途方もない不安に押しつぶされそうになっている彼女のゆがみを、私は決して他人ごととして切り捨てることなどできない。

アイリーンが話す夢の娘が、すでにそれなりの年齢に達しているというのも気になってしょうがない。お金のない彼女は、それなのにどうしてあれほどたくさんの絵本を買ったのだろう。もしかしたらそこには、スキッパーと同じとまではいかずとも、何か特別な事情があるのかもしれない。

現在は異文化におけるストレスにさらされつつも、一見さほど問題のないように見えるゲイル。彼女はどうしてアルコール依存症になってしまったのだろう。いったいどんな過程を経て、そこまで突き進んでしまったのだろう。アルコールが先で不妊が後というよりも、不妊を遠因としたアルコール依存なのではないかなどと思ってしまうのは勘ぐり過ぎか。

彼女がレスリーからもらったというレスリーが編集した本が、人前では口にできないような言葉が多く掲載された女性向けの本だったというのも気にかかる。彼女が男性不信になってゆくまでには、いったいどのような人と出会ってきたのだろう。もしくは、どんなキャリアを積んできたのだろう。彼女はレズビアンとも噂されてはいたが、私には単に男性中心社会における家族制度や男性そのものを徹底否定している人であるとしか見えなかった。

いずれにせよこの映画は、たとえば「女ならわかる」だなんて便利な言葉ではくくれない、かなり異質なマイノリティ映画だと思う。

だからこそ私は「極めてセイルズ的な」この地味で真摯な優しい映画を、「女性として」ではなく「人間として」強く支持したいと思う。共感できるとは言い切れずとも彼女たちのことを少しでも理解したいし、また、それこそが極めて多角的な視点をくれたセイルズに対する、私の真剣な応えでもあるから。

追記:

「国際的な養子縁組ということからして日本人には納得しがたい制度なので」といった評もいくつか目にしましたが、プライバシーに関することでもありあまり表立ってはいないだけで、ハワイ等にいる日系の孤児を子どものいない日本国籍の夫婦が国際養子として迎え育てている事例はたくさんあります。てゆーか、そのための仲介をはかっている法人もあったりします。取材でオフィスを訪ねたことがありますが、代表の方は「子どもがほしいのにそれのかなわぬ夫婦がどれだけつらい気持ちでいるのか」「日系の孤児が世界にはどれだけたくさんいて困難な状況にあるのか」「親子となった彼らが現在はどれほど幸せに暮らしているのか」を切々と語ってくれました。この映画の終わりに誕生する二組の親子にも、きっと幸せになってほしいものです。そうでありますように。

(評価:★4)

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