[コメント] キネマの神様(2021/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
モノクロ映画シーンでの北川景子は、往年の原節子や若尾文子にも一歩も引けを取らない神々しいばかりの美しさでくらくらした。めいちゃんの愛らしくもなまめかしいくるぶしに熱がさらに上がって仕事を辞めようとさえ思うテラシンの気持ちも、すごくよくわかった。
でも、映画としてはワクワクドキドキできない作品だった。 物語の重要な鍵となる映画内映画(ごうが脚本を書く「キネマの神様」)の内容に手垢がつきすぎていて新鮮味がまるでないのが致命的だと思った。
キートンの映画が元ネタだとセリフにはあるが、あまりにも「カイロの紫のバラ」だ。
過去パートでテラシンやよしこちゃんが「なんて斬新なの!」と褒めるのはよいとしても、脚本賞のことまで知っている映画マニアらしい玲和の孫にはせめて「ウッディアレンによく似た映画があるけどね」くらいのツッコミをいれてもらいたかった(まえだまえだではボケ担当だけど)。
映画館で売られているビールの銘柄や緊急事態宣言に入る直前の世相などはリアルなのに、小津映画へのオマージュはしつこいほどなのに、「カイロの紫のバラ」や「今夜、ロマンス劇場で」の存在はなかったことにするというのはどうしてだろう?それはある意味、映画への冒涜とも言えるのではないか?とさえ思った。
そもそも、観客が本当にワクワクするような、映画の神様の存在を信じさせてもらえるような、そんな物語をつくりだしてほしかった。ごうに語らせてほしかった。
だってこの手の映画における映画内映画は、これを読んでる映画好きなあなたにとってもお楽しみのひとつではありません?
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