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[コメント] X―MEN ファイナル ディシジョン(2006/米=英)

このシリーズは、「私小説」であってほしかった
YO--CHAN

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







第一作だって、敢えてウルヴァリン一人称を目指した風なところもあった。(結局そうはならなかったが;)。監督も最初はそれを目指していたのでは?と勝手に思った。

例えば、「人類存亡を賭けた地球規模の戦い」という形をとったエヴァンゲリオンが、結局14歳の一少年の「私小説」として終わった様に、本シリーズも肝はミュータントの悩み・苦しみと昇華(戦いか共存かは別として)なのではないか。それは結局一人称でしか表せないものじゃないのか。これだけ派手なシリースでも、3作見ると最後にはイアン・マッケランの演技力が印象に残るのもその為かもしれない。

 今回だって、ジーンではなくあの白い少年を中心に据えれば、違った凄さがあったと思うのだけれど・・・

※ 内面的な苦しみや理解・邂逅そのものを特撮で表現できれば凄いが、それはきっと例えば大阪万博の映像みたいに・・・もちろんすごく見たいけど;

ジーンには悪いけど、「私が最強」とかクラス3とか5とかはあんまり実感がなくどうでもいい。SDメモリカードと同じだ。自分が見たいのは、猛々しく演説するマグニートではなく、捕らえられていいようにされ、それでも復帰し仲間と邂逅し、大いに活躍する彼だ。(教授やウルヴァリンは?というのも尤もですが、単にファンということで;)

「それではこんな大勢出した大風呂敷を畳めない」というなら、「すべてを夢オチにするミュータント」や「時をかけるミュータント」「記憶を共有させられるミュータント」「パラレルワールド発生装置」「作者が登場」でもいい。他では噴飯ものでも、X−menシリーズならば、それが許される。(実際、時間ネタはその後使われた)

P.S.  最後のおまけシーンは、「まあ、今回は監督も違う事だし番外編とでも思ってくれ」というメッセージと受け取りました。

(評価:★3)

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