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[コメント] ゴースト・イン・ザ・シェル(2017/米)

もしや、「仮想現実ネタ」のすごさを描くには、「映画」は不向きなのかもと思った。なにしろ「映画」自体が(極めて不完全にせよ)既に仮想現実なのだから・・・
YO--CHAN

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







映像はスタイリッシュかつ丁寧だけど・・・

「私は一体何者なのだー!(雷鳴)」という自分さがしの物語が、表面的には『ロボコップ』というかA定食みたいな着地点に落ち着いた様で、少し退屈だった、ゴメン。

ここから全く個人的な意見に過ぎないが、自分自身の存在証明や、現実とは何か?といった切羽詰まったテーマに、銃をバンバンで爆発がドッカーンの展開は似合わないんじゃないだろうか。飽きちゃう(笑) 押井守でも『ビューティフル・ドリーマー』は違った気がするのだが・・・もしや「強力なボディーに人格が移植されて」という時点で、ストーリーに制限ができてしまうのかもしれない。

好みを言えば、「機械に脳を移植された素子は、サイバー捜査官として云々」というあんまり直球な入り方がちょっと眠い; 途方もない設定ほど入るのにためらいもある筈だし、せめてうどん食べてからとか、カラフルな錠剤を持ったおじさんとか、少なくとも所謂「巻き込み型」で(真相は巻き込まれている訳だが)、それなりの「日常との接合点」はあった方がよかったのではないか? (ネオですら、最初にそんなシーンはあった)。素子だって脳は女の子だしあんな格好で飛び降りるのには、最初は抵抗があったはずだ。が、そんなシーンがあってこそ、サイバー体のリアリティーもでてくると思う。第一、散々テレビやWEBで広報されたあのダイブのシーンは、仮想世界への切替シーンではない様なのだ。(当然そうだと思ってた;) もちろん、ビジュアル的には凄くいけてると思うが、ストーリー上から見れば精々ダブルタイフーンに風を送る程度の意味しかない、期待してたのと比べ大分意味のないダイブだった。

いっそ、例えば、全自動洗濯機に素子の人格が移植され、「わ、私の本当の姿は!?・・・あ、すすぎ、すすぎ・・・もしや私の洗濯機としての記憶は偽物?・・・あ、脱水ガタガタ」とかで、新たな境地に到達した素子が、自動乾燥機とのサイバー接続を試み・・・とか、ないか、やっぱり(笑)

意外な事は、これだけ熱心に描かれた「少佐」より、北野武の方が存在感で上回ってる気さえする点で、ある意味、スカーレット・ヨハンソンは「映像素材としての出演」というか「殼化」された扱いに過ぎないのではないのか?

本作は、珍しく映画館でIMAX-3D体験!だった。これは自分のお下品な想像かもしれないけど、観客の興味が「VRと見間違う程の未来世界」よりも「人間そっくりのほぼ全裸の人造ボディーに合成されたスカーレット・ヨハンソンを3Dで」に注がれていた気がした(笑) もし、ホントにそうなら、この手法は、樹木希林にだって、故・オードリー・ヘップバーンにだって、或いは観客自身にだって応用可能なわけで(愛知万博の某パビリオンで実証済み)、本作は映画界に商業的に大きな道筋を開いた?事になるかもしれない、冗談の様だけど、この方面には莫大な経済的可能性(?)がありそうだ・・・原作者は憤慨するかもしれないが、あの『トータル・リコール』だって、結局一般には「あの、胸の(数量的に)豊かなおばさんの」で記憶に残されているのだから・・・(そういえば、公開当時、北野武はトータルリコールを絶賛していた気がする)

と、正直なところ、「うーん、一般観客向けだから、こんな展開も仕方ないか」と、「マトリックスの続編化」というか、若干セーブされている気もするんだけど、単に自分の感受性がイマイチなだけなのだろうか。

P.S.  これは内容と直接関係ないですが、未来の世界、未来の街角の描写となると、なぜ結局「ブレードランナー・モデル」(?)に落ち着いちゃうんでしょうか?ファンとしては嬉しいです、40年は前の映画なのに・・・

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (5 人)けにろん[*] Orpheus Walden[*] おーい粗茶[*] サイモン64[*]

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