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[コメント] マイ・フェア・レディ(1964/米)

ジュリー・アンドリュースのあの特徴的な「正規品英語」で見られなかった事は残念だけど、これはこれでオーケー。こういった作品で普通に尊重される"人間性への扱い(?)"が、なぜか昨今の映画では退化している様な気がするから不思議だ。
YO--CHAN

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







※ 小学生低学年の頃これをTVで親と見たらしい。イライザがたまらずスリッパを投げつけるシーンに大いに同感し歓喜した様な記憶がある。今、観返すと、あのシーンがそれほどのカタルシスでない・・・ダメな意味で大人になってしまったのだろうか?

がらんどうの長屋で巨人の星の父・一徹が、かつて息子に強いた大リーグボール養成ギプスを一人でいじって昔を思い出した様に、ヒギンズ教授はイライザが去った屋敷で、かつてのイライザのひどい訛りの録音を無言で聞く。自分はこのシーンが好きだ。それに続く精一杯の強がりの「私のスリッパ(略)」に至っては泣けてきたりする。

ヒギンズ教授は、ヒギンズ教授である事は止められない。例えばあの場で「ああっ!」のラブシーンに縺れ込んでは、彼が、コチコチの彼のままでなお、イライザの大切さに気付いた素晴らしさは表現できない筈だ。(なんか・・・変すぎる表現だなあ)

例えば、「明るく燃え尽きろ」と言い放たれたロイ・バッツィーの哀しさがタイレル博士の心にほんの少しでも触れたる事ができたら、それはまた新たなる感動を引き起こしたのでは・・・などと脱線した事も思ったが、この時代の映画はそういう機微があって、そこがいい気がする。

思えば原作者は、一見コチコチの皮肉屋として有名なバーナード・ショーだという事も、何か似た構図があって面白い。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ゑぎ[*] りかちゅ[*]

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