★3 | 踊り子行状記(1955/日) | 後にピンで傑作を連作した大映3大スターも初期には数多のプログラムピクチャーをこなしたからこそなのだろう。手馴れた演出での1時間半は飽きないが、TVの勃興に喰われるのも仕方ないとも思わせる。勝新はともかく、この頃の雷蔵は殺陣が下手。 | [投票] |
★4 | 女狐風呂(1958/日) | 婿養子でありながら女房を女中呼ばわりして憚らない雷蔵の泰然自若さに嵯峨の陽性な姐御肌気質がかみ合い、日本映画には珍しい本音で戯れ合う理想の夫婦像が現出。その有り様の心地よさの前では推理劇としての出来は最早どうでもいいとさえ思える。 | [投票] |
★4 | 恐るべき訪問者(1981/英=米) | 完全にキワもの的題材なのだが、英国版の地味オールスターとでも言うべき出演者達が所を得た芝居を堪能させ顔ぶれを見てるだけでも飽きない。ギルバート・テイラーのカメラもエッジの効いたシャープネスで全篇を統一。埋もれるに惜しい佳品となり得てる。 | [投票] |
★2 | 吼えろ鉄拳(1981/日) | プログラムピクチャーの論法に安住しまくりの設定や展開で良しとするには、真田と悦ちゃんのアクションで徹頭徹尾推しまくってほしいところだが、千葉筆頭にシャシャリ出る親爺どもがいいとこ取りするんじゃ勢いは減殺される。端境期の徒花だ。 | [投票] |
★3 | うず潮(1975/仏) | フランス映画なのにハイスピードな展開は寧ろ50年代ハリウッド製コメディを連想させる。姦しい低層娘と浮世離れた富裕男の他愛無い無人島ごっこ&ラブアフェアを世紀を代表する男優と女優がミスマッチを承知で肩の力を抜いてノビノビと楽しんで演じている。 | [投票] |
★3 | 針の眼(1981/英) | 物語を語るに性急律儀なので2転3転する心理描写を味わい切ることが出来ない。大体にスパイものとして地味だし役者も玄人好みなのであれば情欲映画であるか位に心理葛藤に踏み込んでほしい。離島での生活の侘しさがもたらす女の孤独な情感こそ肝なのだから。 | [投票] |
★3 | ロジャー・ムーア 冒険野郎(1976/英) | あくまで悪者はドイツで象牙の密猟してても米英サイドなら良しとされるらしい。黒塗りの黒人扮装を含めて地雷コード踏みまくりだがそういう時代だった。C調なムーアと飄然としたマービンのコンビがそれなりに苛烈で過酷な展開を中和して悪くない。 | [投票] |
★3 | オペラ座の怪人(1989/米) | 丁寧な作りではあるが至近の2作が音楽を前面に出し物語は叩き台に過ぎなかったのに比し直球勝負で今更感を拭えない。付け足し程度のタイムスリップネタは効果も無く、どうせなら完全スプラッター化するくらいのサバけたもんが欲しかった。中途半端なのだ。 | [投票] |
★3 | 女帝 春日局(1990/日) | 「女帝」としての覇権を得るまでの話であって題名に偽り有りだと思うのだが、まあ、それなりにはおもろい。脇での名取・草笛の老若老練コンビが良く、十朱1枚看板では苦しいところを好サポート。しかし、思うのだが、大奥ものっておもろいか?。 | [投票] |
★1 | 聖女伝説(1985/日) | のし上がったるという土性っ骨も見受けられない柔野郎が、それらしいポーズを決めたってダサすぎる。その戦略もオバンをコマすという原始的手法位しか取り柄もない設定では最早スタッフ誰1人やる気なかったのが見え見えだ。レイ登用が限りなく虚しい。 | [投票] |
★2 | 殺意の香り(1982/米) | 謎の金髪美女や精神分析的アプローチを散りばめ否が応でもヒッチコックを想起させるのだが、違うのは主役2人に華が無く地味臭いこと。何を描くかではなく、どう描くかに主軸を置く映画作りはベントンの柄じゃない。遊び心がなく生真面目すぎるのだ。 | [投票] |
★4 | もだえ(1944/スウェーデン) | 悪い奴は徹底的に悪く描かれるのが単視眼的とも言えるが、オドロオドロしいドイツ表現主義的手法でポイントを押さえつつ描かれると何か一種の怪異譚のような高みにまで到達してるかのよう。ダークサイドな聖職者はベルイマンの絶望感の表象でもあるのだ。 | [投票] |
★3 | フレイルティー 妄執(2001/米=独=伊) | 再逆転の構図は肝なのだろうが見終わって既視感が横溢するしビル・パクストンという俳優のイメージそのままに堅実で実直な演出なので好感は持てるがハッタリズムは当然希薄。惜しいがサムシングが不足なのだ。画面造形のケレンや脚本の更なる捻りなど。 | [投票] |
★2 | キルソドム(1985/韓国) | 血の繋がりとは何かを問いかける結末のシビアさは非常に重くドラマトゥルギーを内包してるとしても、それを映画として観客に訴求するにはグォンテクの愚直が裏目に出る。しんどい物語を語るに記録フィルムとのモンタージュが余りに拙劣で見るに耐えない。 | [投票] |
★3 | ウィング・コマンダー(1999/米) | 大体、幾つもの映画からインスパイアされたに決まってるゲームが鮭の回遊よろしく巡りめぐって映画化されたのだからオリジナルマターを付与することが本末転倒となるジレンマ。決してVFXは悪くはないが過去のこの手の作を上回るものも皆無。画面も暗すぎ。 | [投票] |
★2 | スフィンクス(1980/米) | 何がどうなってるのかの興味もさっぱりわかない展開の果てに、勘所の何千年にもわたる悠久の歴史に秘められた謎っていうのが面白みもくそもない。大作の捌きに秀でていたシャフナーの冴えの片鱗も窺えない凡作。ただただエジプトの美しい景観だけが見所。 | [投票] |
★3 | 獅子王たちの最后(1993/日) | 対極的な2人の男の生き様が類型的だが故に安心して見ていられる出来。ただ、象徴としての「伝説のヒットマン」の位置づけの筋への絡みが悪く思いの他機能しきれない。ラストも投げやり。青いなりに役者達は良く、錦織の荒び方も意外な程堂に入っている。 | [投票] |
★4 | ザ・デッド 「ダブリン市民」より(1987/米) | 雪降りしきる屋外と対照される屋内の料理と人いきれの暖かさに目頭が熱くなる慎ましやかな一夜のアイルランド小話。そういう世界では起動した悔恨や嫉妬さえも悠久の時間軸に包まれてゆく。善意と謝意と幾ばくかの諦念でヒューストンが吐露した辞世の句。 | [投票] |
★2 | 女生きてます 盛り場渡り鳥(1972/日) | シリーズ末期の居た堪れなさが横溢する。ユルユルの人情劇であろうとも山椒は小粒で何とやらであるべきだが、演ずるのが又しょ垂れた面子ばかりなのでぬるま湯で屁をこいたレベルである。そういう中で山崎努の演った役だけにアンビバレントな妙味がある。 | [投票] |
★3 | ローラ(1960/仏) | クタール撮影はモノクロの粋だが、あっちへふらふらこっちへふらふらの主体性にも行動力にも欠ける主人公が結局フラれるだけの話を幾ら感傷的に修飾して撮ったって何も観る者の心には沁みない。頭からケツまで思い込み過剰の自慰的内省映画に終始してる。 | [投票] |