[コメント] ミリオンダラー・ベイビー(2004/米)
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またもやラストで?マーク連発なわかりにくい結末。しかも激重いし。
中盤まではまんま「ガールファイト」でテンポ良く進むが、いきなり暗転。その後はイーストウッド演じるフランキーの“贖罪の旅”的な展開。というか、もともとモーガン・フリーマン演じるエディのナレーションで始まってたし(彼と気づくのに5分以上かかったバカな自分)、彼の回想・独白のスタイルなのでエディ自身もある意味呪縛からの解放のような安らかささに満ちた終わり方でもあった。 しかし、ヒラリー・スワンクのマギーから見ると壮絶極まりないフィナーレで、あまりの急転直下な締めくくりに高い所から突き落とされたようなショックがある。誰に感情移入して見ていくかで随分受け止め方が変わるのかもしれない。
ヒラリー・スワンクはオスカー取ったけど、もうけ役というべきで、演技の見せ場は意外に少ないし、彼女の一人称で語られる場面がないので物足りない。ボクシングシーンもどっちかといえば「ロッキー」タイプでちょっと興ざめ。実際の世界戦であんな低レベルありえないでしょ。
表層的に、映画の売りとしても女ボクサーのサクセスストーリーなのだが、その実エディの回想で人生の幸せの価値観や責任を背負った人間の生き様、贖罪、尊厳死の是非までを問うような重層的なストーリーに組み立ててあり、「ミスティック・リバー」同様に奥が深い。しかしボクシングシーンがかなり劇画調でエンターテインメント要素が強く立ってしまっているので映画のバランスが悪く感じる。エディの過去についての事件やフランキーと音信不通になってる娘について、いずれもセリフでの説明だけなので掘りが浅い。無駄のない構成と思っても2時間超えてるけど、人間ドラマとしては試合シーン削ってでもエディへもっと話を振って欲しかった。今思うと、エディがマギーに別のマネジャーを紹介した真意は何だったんだろう。僕はフランキーをトラウマから解放してやるためかなと思ったが、妻はマギーの本気度を試す意図もあったのではと言う。それもなるほどと思ったりしたが。
しかし、イーストウッドの作風はますます洗練されてる印象。自分だけ、何気ないショットに勝手に唸ってしまった。前作はショーン・ペンの背中に背負った十字架のタトゥーのショットで、今回はガソリンスタンドでフランキーが車の窓を洗うガラス越しのマギーの表情。フロントガラスに流れ落ちる水がまるで涙のようで泣けた。なんだかんだグダグダ言っても実はずっと泣き通しだったんだけど。 あと、マギー登場シーンの「EXIT」とか、フランキーの部屋番号の3001とか、二人が契約成立で握手した時の真横ショットでパンチングボールが十字架みたく見えるとことか深読みしてみたくなるショット満載。でも意味わからんけど。
時間を経過した過去の追想とすれば魂の安らぎを得たような安堵感もあるにはあるんだけど、やっぱりショッキングで悲しすぎる映画だったかも。尊厳死についても、実際もっと症状が重くても目の動きでパソコン執筆して頑張っているような人からすれば許せない話かも知れないし。見終わった直後の今んとこでは答えが出せない微妙な気持ち。
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