[コメント] 父と暮せば(2004/日)
舞台ものの構成を敢えて映画で語る企画は、私は実は厭ではない。舞台特有の観客に迫る「閉鎖性」「共有性」を映画にも与えようとするのだろう。それはこの映画では「原爆の記憶」である。
肉親と友人と故郷の風景の一切を爆風と共に失い、崩れかかった薄暗い建物の片隅に、自れの生を呪いながらひっそりと独り暮らしている若い女性。この広島のここそこにあったであろう設定だけで、私の心は締め付けられる思いがする。そこに現れる亡き父。さして驚きもせず「また来られてたんですか」と美津江はいう。美津江の心には死者が寄り添っているのだ。これは決して怪奇譚ではない。
私は時折挿入される閃光の映像、固着した記憶としての物体、これらを肯定する。特に原爆を知らないひとびとにとっては必要なものだろう。映画は所詮現実ではないが、あれらの映像と共にこの密室劇が併置されることとで、観客にとっても原爆を現実のものとしようとする監督の努力・執念・願いの顕れであろう。
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